潮流 (No.125)

馬場錬成

2021.02.19

デジタル庁発足に先行するデジタル知財戦略の意味

途上国入り口に差しかかった日本

日本が21世紀はデジタル活用時代になると予言していたのは1990年代からであり、それへの備えは国をあげてやるべきだった。その第一は、行政官庁組織のデジタル化であり、学校、大学現場のデジタル化であった。

 

トップクラスの企業は、国際化の波のなかで闘っているのでそれなりのデジタル化には取り組んでいたはずだが、国全体としては遅れてしまった。

 

先ごろ、印鑑を省略する行政書類の改革を打ち出したが、一挙にやろうとするから大騒ぎになる。時代の趨勢を見ながら徐々にやる計画性がまるでなかった。これは誰が悪いといって政治が悪かった。与野党もこうした視点で、国会で問題視するべきだったが、目先の課題を検討することをやっても、時代の趨勢を見据えて着々と国家的投資をすることに怠った。

 

21世紀に入る直前、中国に行ってニセモノ製造の現場を取材した。そのころ中国は途上国だった。粗悪品が多く、先進国の製品を勝手に真似して特許侵害をごく普通に行っていた。

 

雲南省、四川省などの田舎に行くと、電話回線がまだ引かれてなかったので、携帯電話が普及し始め、テレビ番組はパラボナアンテナで20チャンネルを楽しんでいた。その中国が、この10年間で日本に追いつき、そして追い抜いて行った。中国に行くといま、ホームレス、つまり乞食もQRコードを表示して物乞いする時代になった。日本の乞食は途上国におかれたままになっている。

 

1年かかって異例の速さという感覚
2020年9月16日に発足した菅内閣が、国全体のデジタル化に取り組むという看板を掲げた。遅きに失した取り組みであるが、これはもはや仕方ない。新政権発足直後に宣言したのが2021年9月からのデジタル庁設置である。国家のデジタル化の司令塔となる機関の新設である。宣言から設置までの期間が「異例の速さ」と政府は強調していたが、どうも感覚が違う。1年かかって設置することが異例の速さだという。、デジタル改革担当大臣である平井卓也議員が「通常ではありえないスピード」と驚きを示したというが、そのこと自体が驚きである。

 

コロナ禍で日本全体がデジタル化を急ぐ事態に陥っている。「コロナ戦争」と言う言葉も出てきたように、これは疫病と人類の戦争である。戦争は一刻を争うものであり、遅れたら負ける。

 

コロナの時代、戦争と同じ感覚で政策を遂行する気概が薄いと言わざるを得ない。1年かけることも半年でやることも作業量は同じである。違いがあるとすれば取り組む気概である。やる気という言い方でもいい。

 

もし戦争ならこんなのんびりしたことはやっていられない。過去の戦争時代を思い出せば分かる。中国と比べてみても、デジタル取り組みは遅れてしまった。中国でタクシーに乗れば、現金を出すと嫌がられる。スーパーで現金を支払っている光景は、ごくまれである。日本ではまだ、現金支払いは普通である。それを悪いと言っているのではなく、社会の仕組みがそうなってしまったのだ。

 

デジタル知財戦略とは何か
内閣府が先ごろ告知した「デジタル知財戦略」(デジタル知財戦略.pdf)とは、社会構造をデジタル化するために企業や国民の意識改革を狙った政策案である。知財とうたってるが、特許、著作権に代表される知的財産権の戦略ではなく、社会構造をデジタル化に向けてやるべき指針を示したものだ。

 

デジタル・トランスフォーメーション(DX)時代を迎えて、企業にあっては「経営者のDXへの決意」を第一に掲げている。これこそ政府にあっては「政府中枢トップがDXへの決意」を表明して実行しなければならないということだろう。

 

国民として政府を後押ししたい気持ちがあるが、基本がデジタル化に遅れている様子が分かるので支援しようがない。
このテーマは、簡単にはいかない。ひょっとすると国家として取り返しのつかない遅れた途上国へ転落する可能性もある。
「デジタル知財戦略」を読んで感じた率直な感想である。

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