コラム

50年目に「清算」した授与の誤り
ー日本被団協にノーベル平和賞ー

被爆者団体のたゆまぬ非核運動を評価
ノルウエー・ノーベル賞委員会は、2024年10月11日、
ノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表しました。
佐藤栄作元首相が非核三原則を実現した政治家として、
1974年に平和賞を授与されてからちょうど50年目です。
しかしこの授賞理由は、間違いであることが後年、判明します。
今回の授賞理由は、被爆者の立場から非核・平和運動のたゆまぬ努力を評価したものであり、
日本被団協の地道な活動を顕彰するものでした。
筆者は受賞を聞いて、50年前の「誤った授与」を「清算」する意味があるのではないかとも思いました。
日本被団協は、原爆投下から11年後の1956年に結成されました。
広島と長崎の被爆者の全国組織として活動を続け、
人道に背く核兵器使用の禁止を訴えており約70年にわたり、
核兵器の廃絶を世界にアピールしてきました。
被爆者が体験した証言や原爆の写真展を世界各地で展開する草の根運動として知られるようになり、
核兵器の開発や保有などを法的に禁止する核兵器禁止条約の成立では、
日本被団協の署名運動が大きな推進力になったと評価されていました。

 

授賞を発表するノーベル賞委員会(NHKテレビ放送から)
 

ノーベル賞委員会のフリードネス委員長は、
授賞理由として「核兵器が二度と使われてはならないことを、
被爆者の証言を通じて示してきたこと」などをあげていました。
発表の瞬間、驚きと感動する被団協の皆さんの姿をテレビで見ていた人は、誰もが感動をもらったと思います。 

50年前の受賞を思い出せる発表
発表を聞いた瞬間、筆者は「50年目の清算」と思いました。
50年前の佐藤元首相への授与は誤りであったことが、後年、分かったからです。
そのときの授賞理由は「非核三原則の提起と推進」などでしたが、
その後、佐藤元首相の密約文書が佐藤邸から発見され、
授賞理由と違うとして話題となりました。
その後、筆者はノーベル生理学・医学賞選考委員会事務局長から、
佐藤元首相への授与はノーベル賞3大誤りの一つであるとの「証言」を得ており、
矢野暢・京都大学教授も同じ言葉をノーベル財団の理事から聞いていました。
矢野教授は密約発覚のころ、ノーベル平和賞のアジア地域の調査員を極秘で任命されており、
佐藤授賞の間違いを何らかの事情を知っていた可能性があります。
矢野教授の著書「ノーベル賞 二十世紀の普遍言語」(中公新書)の中でも、
佐藤元首相の受賞は
「ほかのさまざまな例と同じく、いまでも意見の安定をみていない」と書いています。
「安定をみていない」という表現に真相が込められているように感じます。 

佐藤邸から発見された密約文書
それは20091222日でした。
読売新聞の吉田清久・政治部次長(現・読売新聞編集委員)が佐藤元首相の二男、
信二氏(元衆議院議員・通産大臣)から密約議事録を見せられ、
吉田氏はその存在と解説をその日の同紙夕刊で特報し、翌年の新聞協会賞を受賞しました。

佐藤邸から発見された密約文書のコピー(上)とそれを特報する読売新聞(下)
(いずれも吉田清久氏提供)

非核三原則とは「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を言います。
佐藤元首相は、1972年に実現した沖縄返還の際に、
数年前から交渉していた日米間の外交折衝の中で、
核問題は大統領と日本の首相との首脳会談で決着する案件となっていました。
1971年の日米首脳会談のとき、ニクソン・佐藤の首脳間だけの密約議事録を取り交わし、
首脳会談コミュニケでも発表されませんでした。
返還交渉の時期、返還の条件を巡って日本の国会では与野党が激しい論戦を展開し、
革新系団体を主体とする返還反対運動、
さらに過激派学生の火炎びんと手製爆弾を使った反対闘争などで、
国内が騒然とする騒ぎとなっていました。
佐藤元首相は、国会でも院外の演説でも非核三原則を基軸とした交渉を貫いたと主張し、
「本土並み」の条件で返還されたことになっていました。
しかし、両首脳の密約では、「有事の際には核の持ち込み」を条件として返還することで決着。
米側はこの密約議事録は米議会の秘密会で報告され、国務省に今も保管されていますが、
日本では外務省にも保管されず、存在そのものが不明になっていました。
ところが1990年代になってから米外交文書の公開でその存在が明らかになり、
密約をお膳立てしたキッシンジャー元大統領補佐官のメモの公開、
佐藤元首相の密使となった若泉敬・元京都産業大教授の暴露本の発刊などから
密約は確実で、非核三原則は幻だったことが明らかになっていました。 

ノーベル賞3大誤りの1つだった
筆者は1989年から5回、ノーベル財団とノーベル賞授賞式を取材する機会がありました。
その折、たまたま生理学・医学賞選考委員会事務局長から
「ノーベル賞3大誤り」を聞いたのでした。 

* ヨハネス・フィビゲル(デンマークの病理学者)
1926年に胃がんを作成した業績で生理学・医学賞を受賞。
しかしそれは、特殊な寄生虫のがんだったことが判明した。

* エガス・モニス(ポルトガルの外科医)
1949年に前頭葉切裁術(ロボトミー)の開発で生理学・医学賞を受賞。
しかし、その後ロボトミーは、人格を棄損するとして世界で中止になった。

* 佐藤栄作(日本の政治家)
1974年に非核三原則(作らず、持たず、持ち込まず)の提唱で平和賞を受賞。
日米首脳秘密議事録で、核使用を前提とした密約が露見した。

ノーベル財団が、3大誤りとして公式に表明しているわけではありません。
あくまでも非公式の「見解」を示唆しているだけです。
誤りの中に生理学・医学賞が2つあり、「もう一つの誤りは日本が絡んでいる」という言い方でした。
こちらから「それは平和賞か」と尋ねると、肯定する態度を示したものです。

 

50年間を要した核をめぐる錯綜への決着
ウクライナ戦争、イスラエル・ガザ戦争が国連機能をマヒさせた悲惨な戦争としていまなお続いています。
戦争はもうごめんだという世界の世論が全く無視された現実であり、
部分核戦争がささやかれるほど事態は深刻度を増しています。
もし、核兵器を局地的にでも使用されることが起きれば、
全面的な核戦争へ拡大する可能性もあるでしょう。
そのような不穏な世界の動きに歯止めをかける意味で、
非核・平和運動を続けてきた日本被団協にノーベル平和賞を授与し、
世界の注目を引き付けることで核戦争防止のサインを送ってきたとも理解できます。
50年を経て誤った非核政治を清算し、
地道な非核・平和運動にノーベル賞を授与したところにノーベル財団の真意があると筆者は思いました。

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