日本の停滞の原点は教育にあるのではないか(下)
衰退の原点は教育の疲弊か
日本がこの30年間、停滞・横ばいに推移してきた原因は何か。
多数、語られてきたが決め手がないように見える。
なぜこのような国になってしまったのか。
国家として取り組むべき施策が、他の先進国に比べてワンテンポ出遅れる。
そんなときに筆者が出会ったのが、横浜創英中高校の工藤勇一校長の著書である。
この本を読むうち、日本の衰退傾向の原点は、教育の疲弊にあるのではないかと筆者は考えるようになった。
著書からくみ取った教育現場の改革
工藤先生は、東京理科大学理学部応用数学科を卒業後、数学の教師となり
郷里の山形県の中学に赴任した。
6年後に、東京の公立中学の教師になった後
東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会などを経て
2014年から2020年まで千代田区の名門、区立麹町中学校の校長として勤務した。
工藤勇一先生の近著
こうした経歴の中で書いた工藤先生の著書を読むと
今の小中学校教育は間違っていると確信するようになった。
著書からくみ取った工藤先生の考えの要点を整理してみた。
*教育の最上位の目標は、自律する子どもを育てること。
自立ではなく自律である。
自ら物事を考えて判断し、自分をコントロールする子を育てる。
今のような受け身の授業では自律型の子どもは育たない。
*学校は可能な限り自由に学ぶところである。
個別最適とはそういう学びの場でなければならない。
学校を自己決定できる教育の場に変えていくことが重要であり、
生徒全員を当事者に変えることだ。
今の子どもは不都合なことが起きると自分の問題としてとらえず、人のせいにする。
*何でも多数決で処理するのは間違い。少数者を切って捨てることも間違い。
全員が合意できることを見つけるための徹底した対話が必要である。
*学校は、すべての子どもたちが社会でよりよく生きていくための力を身につける場であるべきだ。
誰一人置き去りにしない、持続可能な社会をつくることを目指す教育が重要だ。
教育哲学を実践した学校改革
工藤先生の教育哲学は、教師になってから
ほぼ30年の中で蓄積された体験と自らの考え、教育はどうあるべきかを
探求・研究してきた中で醸成されたものだ。
ただ、こうした「工藤教育哲学」を項目別に整理すると、心に響いても実態が浮かんでこない。
しかし工藤先生は、区立麹町中学の校長になるや、次々と自身の哲学を実現する学校改革に着手していく。
このコラムでは、その具体的な様子を書くことは紙数の関係で困難だが、
実際に行った改革を整理すると、次のようになる。
* クラス担任制をなくす。全校教員が、全クラスの担任である。
担任のいないクラスなど考えられるだろうか。
* 制服は廃止する。茶髪希望者がいればどうぞ、ご自由に。
女生徒のスカートの長さなど服装の制約をやらない。
* 宿題は出さない。中間テストや学期末テストはしない。
ただ、科目の単元が終了した際にはテストをして
確実に身につくように点数が足らない生徒には追試を行っていく。
* 修学旅行や運動会は生徒が自主的に企画・運営する方法で開催する。
* PTAは学校依存ではなく、自ら運営する組織として保護者にも理解させて運営してもらう。
教育から見えてきた日本社会
「自律型生徒を育てる教育をしてこなかった」という工藤先生の言葉を聞いたとき
筆者は様々なことを思い出した。
工藤先生は「なんでも与えられることに慣れてしまった」、
「不都合なことが出ると人のせいにする」とも語った。
これは子どもたちだけではない。
大人社会でも似たようなことが日常的に出ているのではないか。
何かというと政治(あるいは政治家)が悪い。
行政(あるいは役人)が悪いと人のせいにするが、選挙にはいかない。
自らやるべき努力をしないで、人から授かることを期待する。
筆者は読売新聞記者を40年近く務めたが、
最近、頻繁に「今のメディア(あるいは新聞)が悪い」と耳の痛いことを言われることが多い。
しかしメディアに何を期待するのか。
メディアが何か主張して世の中の不条理が直ることは、ほぼあり得ない。
是正に向かうことはあるが、実際にやり遂げるのは国民の力である。
国民の力を世論とも言うが、今のスマホ、SNSの氾濫する時代では
世論形成は極めて難しい。
価値観の多様性と情報の発散が短時間の中で進み、
焦点が定まる前に消滅するからである。
このくだりは、筆者の私見ではあるが、間違いでもないだろう。
シンポジウムでの工藤先生の主張
筆者が主宰する認定NPO法人21世紀構想研究会の創設25周年記念シンポジウムは
1年間かけて小学校教育、中学・高校教育、大学教育、
そして科学技術創造立国への本気度をテーマに
現状の課題と解決策について意見を出し、討論する場を作った。
2023年3月11日に開催された2回目のシンポジウムで、
工藤先生は冒頭の発言でこのようなパワーポイントを示して、聴衆を釘付けにした。
シンポジウム「時代に取り残された学校現場」工藤先生・冒頭発言 - 21世紀構想研究会 (kosoken.org)
この時、工藤先生が語ったのは
「日本社会全体が、ただひたすらサービスを受けるのを待っていて、
うまくいかないと人のせいにする」と言うことだった。
政治が悪い、行政が悪い、政府が悪いと不平ばかり言うが
自分で何か主体的に動こうとしない。
むろん、個人の力では国家を動かすことはできないし、山を動かすことはできない。
SNSがこれだけ発信でき、
それを受発信できるスマホやPCツールがこれだけ普及してきているが、
何か当事者意識が希薄であり、自分事として受け止めていないのではないか。
これは工藤先生の主張を聞いた筆者の気づきでもあった。
この30年間、教育現場で積み重ねてきた無気力人間の教育が
社会全体に蔓延したのではないだろうか。
工藤先生は、次のような国際調査結果を示した。
それは日本財団が2019年11月に発表したものだ。
若者の社会や国に対する意識調査であり、調査項目は次のようなものだった。
*自分を大人だと思う
*自分は責任がある社会の一員だと思う
*将来の夢を持っている
*自分で国や社会を変えられると思う
*自分の国に解決したい社会課題がある
*社会課題について家族や友人など周りの人と積極的に議論している
この設問を
インド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツ、日本の
17歳から19歳の各男女1000人の意識を聞いた結果は
すべて日本の若者は最低だった。
9カ国の中で最低だけでなく、日本だけ突出してほぼ半分以下だった。
自分を大人だと思う割合は、日本は29%なのに
他の多くの国が80%を超えている。
これは子どもの問題ではなく、大人の意識を反映したものだと工藤先生は言う。
紙面の都合で、このテーマについては、問題提起と言う形でここまでにするが
シンポジウムでの討論内容は次のURLにあるので、是非、読んでほしいと思う。
シンポジウム「時代に取り残された学校現場」工藤先生・冒頭発言 - 21世紀構想研究会 (kosoken.org)