コラム

日本の停滞の原点は教育にあるのではないか(上)

日本がこの30年間、停滞・横ばいに推移してきたことは、言い尽くされてきた。
なぜこのような国になってしまったのか。
科学技術への投資が細っており、
技術革新もノーベル賞受賞者数も衰退するのではないかと心配されている。
この衰退傾向の原点は、教育の疲弊にあるのではないかと筆者は考えるようになった。
その論点で2回にわたって提起してみる。

ユニコーン企業が少ない事情
株価の時価評価総額が10億ドルを超えると、ユニコーン企業と呼ばれるようになる。
世界の代表的なユニコーン企業をあげてみたい。
・ ライドシェアやフードデリバリーなどオンライン配車サービスのUber
・ 自宅などを宿泊施設として提供するインターネット・サービスのAirbnb
・ 電気自動車(EV)のテスラの創業者イーロン・マスクが運営するSpaceX
・ 様々な人が新しい価値やイノベーションを創造する場として集まっているWeWork
などが、世界の代表的ユニコーン企業である。

想像上のビジネスとしか思えないようなアイデアを実際に企業として立ち上げ、
経営してしまう実行力とビジネスの発展性には舌を巻く。
ビジネスにするためには資本力が必要だし、そのためには投資する人が必要だ。
投資する人が出るためには、企業として魅力あり発展性がなければならない。
そのどの課題も超えてビジネスに持っていく能力は、
筆者から見るともはや天才としか言いようがない。

https://jp.statista.com/statistics/1357395/number-of-global-unicorns-by-country

世界のユニコーン企業数を見ると日本は…
ユニコーン企業になるためには、卓越した技術が必要だが、
それ以上にビジネスモデルとして確立し
それを採算がとれるように経営する力が必要になっていくる。

Statista Japan社がネットで公開している
2022年の世界のユニコーン企業の国別数を見ると、日本の貧困さが際立っている。
経済規模からみても、東京株式市場の規模からみても
日本は、何でこんなに少ないのか疑問を感じる。

その理由としてよく言われていることを、次のように整理してみた。
第1は、日本のビジネス文化である。
新しいアイデアが出てきても、それを形あるものにすることに踏み出せない。
何事にも慎重なのである。
技術革新もなく、安定した社会が無事に流れている時代には
それは強みであったかもしれない。
しかし、今の時代のように、デジタル産業革命が起き
IT革命の真っただ中で世界が激しく動いている時代には、
慎重であれば流れに乗れずに置かれていくことは必定だろう。
大企業の中でアイデアが生まれていても、独立して企業化に持っていくことは難しい。
しかし、アメリカは、それを乗り越えて発展していく。

例えばネット物販で世界のリーダーになっているAmazonは
もともとは書籍のネット販売業だった。
それを一般的な物販から生鮮食品にまで広げ、ネット販売の覇者となり
今さらにアマゾン・クラウドコンピューティングサービス(Amazon Web Services、AWS)にまで
拡大してきた。
筆者から見るとAWSは、アマゾンにとっては異業種である。
別会社として独立させてもいいものだが、アマゾン傘下で大きな業績を上げ始めている。
むしろ同社の収益は、こちらの方に逆転する可能性さえ感じるほどだ。

儲かったら付加価値のある別のビジネスに発展させていく。
これはマイクロソフト(MS)も同じである。
MSは、OFFICEという
ワード、エクセル、パワーポイントに代表されるソフトで世界を制覇した。
それを進化させ、サブスクリプションで着実に収益をあげていけばいいだろうと思っていたら、
クラウドプラットフォームを提供するビジネスに拡大してきた。
企業や個人のアプリケーションやデータを
クラウド上で管理したり実行することができるサービスだが
これまで確立してきたビジネスモデルを活用して
クラウドサービスに発展させ主要な収益にした。
安定していたMSの株価が近年、上昇しているのは
この企業活動の拡大が投資家に評価されたからだ。
MSはこれを踏み台にして、さらに最近はAIによるビジネスに手を広げてきており
それを織り込んで株価が上昇している。

資金調達が難しい日本


ユニコーン企業が日本で生まれない理由の第2は、資金調達の難しさにある。
日本の金融機関が、リスクを避けて安全投資にとどまっていることは
ずいぶん前から指摘されてきた。
経済の成長期にある時代、成熟して安定した国にある場合は
それでもよかったかも知れない。
 
しかし技術革新が急速に進展してきた今の時代、
デジタル産業革命によってビジネス手法と産業技術が劇的に変化してきた時代にあっては、
リスクを避けた安定経営は、衰退するリスクと隣り合わせになる。
新しい技術やビジネスモデルに対する投資に消極的になれば、
ユニコーン企業は日本では生まれにくくなる。

さらに3つ目の理由には、厳しい日本の規制を指摘したい。
行政の規制は、戦後日本の規律ある企業活動を先導した役割があったことは認めたい。
問題が生じれば、法的規制で対応し、それに拍車をかけるようなメディア報道があった。

しかしいったん法制化すると
その後も延々と守り変化を求めないのが日本社会、日本人の特性であった。
新しいビジネス展開とか、海外の動向を見た企業は
まず役所に相談にいくという風潮すら出てきてしまった。
自己決定ができない社会、企業風土が出てきてしまったのではないか。
役所の指導待ち、世界の動向うかがいが「待ちの姿勢」となり
国と社会の停滞につながっていったと筆者はみている。

学校現場をガラリと変えた工藤勇一先生の英断
ここで論点を学校教育に変えてみたい。
筆者は学校現場の衰退を調べていくうち、工藤勇一先生に出会った。
先生の自著やマスコミでも取り上げられているので、いわゆる有名人になっているが、
先生の実行力の代表例は東京・千代田区立麹町中学校の革命的な改革である。

麹町中学校と言えば、日比谷高校・東大へとつながる名門中学として知られてきた。
校下の家庭環境が
いわば高級官僚、政治家など日本の上流階級の人々の居住地域になっている。
今は校下の子弟が有名私学に流れていくので
かつての有名中学とはちょっと違ってきたようだが
きりりとした制服を見ても、その辺の公立中学とは違った格を見せていた。

その伝統ある麹町中学の校長に赴任した工藤先生は、
思い切った改革を断行した。
以下、次回に続く。

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