表現と言霊 星に願いを
「いらっしゃいませこんにちは。カメラに向かってご注文をどうぞ。」を
「イラッシャイマセコンニチハカメラ二ムカッテゴチュウモンヲドウゾ」と抑揚をつけずに一気に読んでみて欲しい。
ファストフードのドライブスルーで多くの人が経験する無味乾燥なやり取りであろう。
かつてアメリカで暮らし始めて最初に行ったファストフード店では
形式的歓迎の言葉もなく、注文と同時にムニャムニャ言われた。
よく聞くと「Here or to go?」
日本流に直すと「ここで召し上がりますか、それともお持ち帰りになりますか?」になるが、
なんと機械的な響きだったことか。
一方、直接の会話経験はない方でもよくテレビ等の映像で見る機会のある物売り風景。
商売柄年配女性が多く、地方の映像が多いように見える物売りのシーン。
「ちょっとあんた、これうんめえから一口食べてみ。(不正確な方言でしょうがご容赦を)」
と取り皿に一杯乗せて勧めてくれているシーン。
前者と比べて伝わる熱量や温かさが違うように感じるのは私だけではないはず。
前者の仕事に携われている方への失礼、後者の方々への贔屓目は合わせてご容赦を。
ひとの言葉による伝達能力は良くても70%と言われている。
一生懸命伝えても全ては伝わらず、みとり又聞きを挟むと70%☓70%=49%と半分も伝わらない事になる。
これに関しては私にも驚きの経験がある。
会社の中堅幹部の頃、部下からの話を聞く能力を高める為の研修があった。
コンサルの指導の下の研修構造は極めてシンプルで、部下役のコンサルタントと普通に会話するだけの事。
一連の会話が終わった後、私は、部下役のコンサルタントから
彼が上司役の私に話した内容の再生を求められた。
たった今まで会話してきた内容である。
なんと簡単な、と高をくくったのは一瞬の事。
話題の大筋はともかく詳細の再現が殆どできなかった。
俺そこまで頭が悪かったっけ?
一瞬肩を落としたが、実は理由は簡単だった。聴いていなかっただけ。
音は聞いていても聴いていない、
なんだそれはと思うなかれ、外国語会話の得意な人にはよく理解してもらえると思うが、
流暢な会話を続けたいが故に相手が話をしている時に次に自分の話す事に集中しがちになるのと同じである。
もっとも、外国語でもネーティブスピーカーレベルになれば、
十分な余裕をもって聞く、考える、相手に合わせて自分が話す、のプロセスをこなせるかもしれないが、
私は日本語同士でもできなかったのである。
自分でもよくやってしまう事だが、誰かの相談を聞いたときに
「俺なんかさ、とか私なんてね、とか相手の話を咀嚼する前に自分の話を始める日本人のなんて多い事か」
(ボーと生きてんじゃねーよのチコちゃんに叱られるのナレーション風で申し訳ないが)
何が良い悪い、とこの報で論じるつもりはないが、
人に何かを伝えたり理解したりする為の重要ファクターは、
①本当にそう思っているのか
(多くのTVショッピングが、これほどお得な買い物は有りません!シャチョー安―い!
と叫びながら、こちらに伝わらないのはまずこれか)。
②仮にスマートでなくても自分の言葉で真摯に伝える
(上記例で言えばもの売りの女性)。
③返事が下手な文章になっても、しかもそれを用意するのに時間がかかっても
まず相手の言う事を咀嚼できるまで聞いてから頭をこちらモードに切り替える。
④それでも伝達効率は70%位と認識しておき、誤解を許容し修正できる余裕を持つ。
だた①②③を丁寧に心掛ける事で70%をかなり高められると私は信じている。
世の中には「言霊信仰」なる言葉がある。
言の葉に出すと本当に起こるから縁起でもない事を言うな、というように、
どちらかと言うと悪く例示されがちなものと理解している。
神仏は慶事、凶事にも全知全能、一を聞いて百を知ると言われてしまえば元も子もないが、
人間界のコミュニケーションの難しさを鑑みると、
多少縁起の悪い事を誤って口にしてしまっても伝わりにくそうなので心配は不要かと。
ただ、本当に叶えたい願いは言霊のごとく口に出し続け一途に思い続ける事で
無意識に人の行動を変え状況に変化をもたらしてくれるかも。
私はそれをオーバーに表現して、「流れ星に願いをかけるとその願いは叶う」と説いてきた。
なぜか?
瞬間的な機会に願いをかけられるのは常に願いを心に抱いて瞬時に口走る事の出来る者だけ。
つまり鬼気迫るほど真摯に何かを願っている者だけであるはず。
そこまで願っている事は必然的に実現化できる可能性が高い状況にあるので、
これをもって流れ星伝説を説明できるのではないだろうか。
これこそあたかも言霊が存在するかのようではないかと。
ひとの思いの実現は、コミュニケーションの難しさ、
言霊伝説を活かすほどの意思を持ち続ける難しさを克服して達成されるのだろうと思うが、
これがどんな価値を持つのか。
こんな国際情勢だからこそ改めて考えてみたい。
有名な言葉に「ペンは剣よりも強し」があるが、
今だからこそ付け加えたい
「強い意志を伴う真のコミュニケーションはきっとペンよりも強いはず」と。