運命の糸
我が家の何気ない会話のなかで時々でるパターンの話題がある。
「初めて飛行機を見たのはいつなの?」
「うーん、従弟や弟と一緒におじさんに羽田に連れて行ってもらった中1頃かな。」
「私は修学旅行で羽田に行ったときかな。」
「同じような時期だね。もしかしたらおバカな男の子達がはしゃいでるね、なんて皆で僕達の事観てたかもね。」
「そうね、そんな運命の接点もゼロではないかもね。」
「そうだね、神様のような目でそんな過去が全部見えたら面白いのにね。」
子供同士のような会話をしながらかつて思ったことが去来した。
犯罪撲滅、えん罪撲滅、犯人絶対処罰のいちアイデアである。
元々、安全の為なら多少の監視社会(防犯カメラの増設等)賛成派の私ならではの戯言とでもみて頂ければありがたい。
新生児はもとより、老若男女すべてのDNAを採取しデーターベース化してはどうだろうか?
人権派に限らず多くの善男善女からのご批判は覚悟の上でメリットを列挙すると、凶悪犯罪はもとより、性犯罪から軽犯罪に至るまで即座に犯人が特定されるだけでなく、臓器移植等の発展系も考えられる。
個人的にはこちらの方の福音を追求したいのだが。
ただ、人権的、倫理的批判だけでなく、データー保管の信頼性の是非を突かれればかなりの課題は残りそうである。
さて、本題の「運命の糸」に戻したい。
上記は単に監視社会の一記述ではなくこのプロローグも兼ねている。
実は先の話と並列に、でも少しロマンチックに浮かんだのが「運命の糸ビジネス」である。
私はかつてのジャーナルで夢をコントロールする映画「トータル・リコール」的ビジネスの事を少し書いたことがあるが、それよりは現実的かつロマンチックなビジネスである。
今、多くの方がワンちゃん、ネコちゃんをペットとして可愛がっている。
比較的最近かもしれないが、1キロ程度の小型の子にさえ、首周りに飼い主や住所の情報がわかるチップが入れられている。
注意深く探ればすぐわかるが、本人達はいたって平気である。
勿論この程度であるので、行動履歴やGPSによる探索等は望めないが、迷子の時にどこの誰の子かを特定できる助けにはなっている。
これを人の子に適用したらどうだろうか?
この一文だけでは賛成ゼロ、批判の嵐である事は想像するまでもない。
それでは次のうたい文句はどううつるだろうか?
「あなたのお子さんに簡単なチップを埋めてあげませんか?勿論人体には無害、外形的にも将来必要な医療の邪魔もしません。その上で、将来素敵な伴侶とデーターを突き合わせた時、あれ、僕達は(私達は)こんな小さい頃新幹線のなかですれ違っていたね。とか何年・何月の同じ時間に清水寺の舞台にいたのね。あのちょっと素敵だった制服の子があなただったのかしら?と言うような素敵な会話の可能性をプレゼントしてあげませんか?」
サービスの継続性だとかコストなど下世話な事を脇に置くと、とてもロマンチックに感じるのは私だけだろうか。
若さは強さでもあり、自分の生命力と反比例するかのように思い出に興味を持たない時期もある。
ただ、多少の個人差を除けば人はいつか積み重ねた思い出を最も貴重な財産と思うようになるし、物質的な価値が全て失われても最後まで残るのが記憶・思い出である。
残念ながら、楽しみを失いつつ時間を持て余す人が急速に多くなると予想される高齢化社会。
社会で推奨されるような趣味を持てる人、外で社会活動を続けられる人ばかりでは無いはず。
そんな方々に自分の今までの思い出の足跡を、正確にたどって貰う時間を提供する事は価値を持つようにならないだろうか。
映像的記憶技術の発展と合わせ「あなたの思い出をトレースします」はビッグビジネスにならないかな?
ビジネスモデル特許位なら取れそうだが、このジャーナルに載った途端に、プライマリーの公知資料にはならなくても十分ティーチングリファレンスとして自分の出願を邪魔しそうだが。