タイムマシン理論
学生の時からか、働き始めて間もない頃からか定かでないが、
帰省し隣近所のおじさん、おばさんの訃報に触れる度に思い募る事があった。
近所のおじさん、おばさんは、
私の中では子供の頃からずっと変わらないおじさん、おばさんだったのに
時の流れがその人たちを奪って行く感を強く認識するようになった。
この頃から、この世で一番怖いものを聞かれると
お化けでも地震カミナリでもましてやオヤジでもなく
「一瞬たりとも誰も止められない不可逆な時の流れ」と答えるようになった。
20代の頃、米国のワシントンDCに駐在した事がある。
何社かの日本企業から短期、長期色々な立場で
仕事や勉強に来ていた方々と楽しく交流させて頂いた。
その中のひとりの方と酒を酌み交わしながら、
もし可能ならどんな歴史の場面を覗いてみたいかの話になった。
その方の答えは忘れたが、私は迷ったあげく、「本能寺の変」を見たいと答えた。
我々の頭に何回も刷り込まれているように、
信長が光秀の謀反を知って「是非に及ばず」と言ったのか、
蘭丸から手渡された弓矢で果敢に応戦していた信長が弦が切れたのを最後に
炎の本能寺で「人間50年~~」の敦盛を謡い最後を迎えたのか、
それとも最後まで脱出を図ったのか等、話すほどに無性にその場面への興味が募った。
当然ながら「時間は遡れないね」で話が終わりかけた時、
「未来からタイムマシンに乗って現代に来ていると思ったらどうですか?」と彼が言った。
他愛もない流れの会話だったが、私はとても面白いと感銘した。
米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長によるマルタ会談前で
冷戦は終結していなかったが
趨勢は米国による一強体制へと進んでおり、
未来からタイムトラベルによって20世紀に最も栄えた国の首都へやってきたと思えば心が弾んだ。
その時から「自己流タイムマシン理論」として
思考の一部に位置付け意識的に使うようになったのが
「***年先から今ここに戻ってこられているとしたら何をするのか」の問いかけである。
かつての所属企業で、定年を迎えられた先輩方を送り出す時に
必ずした質問が、「今、私の年齢まで戻れるとしたら何をしますか?」だった。
不躾な質問だったかもしれないし、軽い会話のひとつと見られたかもしれないが
私の中では自分と類似であろう未来を経験されたはずの先輩から
リアルなヒントを頂きたい真剣なものであった。
日常の生活の中で誰もが無意識に、小刻みにしている思考の延長かもしれないが
少し意識的にしてみてはどうだろうか。
例えば企業勤務をしているのであれば、
何十年か先の自分は、一般社員から社長までのどこかの役割を負っている筈。
リアルに想像出来ない話ではない。
そこまで生きた自分が今に戻ってこられたとしたら何をするのか・・・。
一つの道で経験値が上がれば上がる程、
行き先の想像は加速度的に精度を増すはずで後悔を先取りしやすくなる。
一方、反比例的に人生の時間的猶予は
なくなって行く事は変えようのない現実で
機会の減少を意識するとダイナミックな選択がしやすくなるように見える。
とは言え、実際は想像の中で何年何十年か先を生きた事にして、
今別の選択をするのはとても難しい事だろう。
なぜならば我々は本能的に変化を嫌うものであり、
時間の流れにも大きな慣性力が伴っているからである。
それに加えて新しい選択肢への不安は常につきまとう。
人生の選択の悩みを単純に構図化すると、
現状の延長線上への想像力と
今、別の選択が出来る千載一遇の地点にいるかもしれないと
捉えられる想像力の綱引きのようなものだろう。
慣性力が前者の味方をしているとしたら
それを意識的に取り払うと少し変わった景色が見えるかもしれない。
ただ、わが身を振り返ってみても、いくつかの場面で選択に悩み決断してきたが
「タイムマシン理論」的なダイナミズムを意識的に取り入れる事は出来なかった。
20代後半の米国駐在時代に、とても親しくなった科学者がいた。
親と同年代だったその方は国防総省を初め政府機関にかなり顔が利いていた。
実際、安全保障上、重要な仕事をしていた彼が
家に自由に招き入れる程に親しくなった友人は
当局の身辺調査の対象であったようで、
私も情報機関(CIA)の調査リストに登録されたと後日聞かされた。
勿論、一般企業の研修生であった私の生活や行動には
当時も帰国後も何の変化もなかった。
その後、企業の知財部で当時頻発していた米国との特許係争を担当していた私は
米国出張の機会も多く、その度に彼と旧交を温めあっていた。
業界の先頭に立ってパテントトロールの先駆けと戦っていた仕事には満足していたが
彼との交流を通して別の世界への憧れも膨らんでいった。
もともと情報戦(平たく言うとスパイ物)に興味があった私は
CIAへの転職の可能性を相談した。
彼はとても真面目に聞いてくれて、
冷戦が実質的に終わりつつあり活躍の選択肢は少ない事
(内勤か、外勤でも日本人ビジネスマンとして
政情不安定な国で辛い生活をしながらの情報収集など)、
政府機関なので処遇は期待できない事等々、
止める事を奨めながらも転職は手伝えると言ってくれた。
そのまま進んでいたらどんな人生があったのか。
インポッシブルではなくてもポッシブルなミッションをどこかでしていたのか。
選択出来なかったいくつかの道の中でも最も鮮明に残る記憶である。
いくら強弁してみても人の選択には必ずどこかに後悔はつきまとう。
「タイムマシン理論」的な思考と併せて、
「どの選択が良いのか、良かったのか悩む時間があるならば、
その時間を自分の今の選択がベストだと肯定する事に使う方が建設的である」との教えを
傍に置く事も強く勧めたい。