コラム

格好こと始め:本物を求めて

33号に続き、部下への失礼発言シリーズのようで恐縮だがこんな注文をした事がある。
「人は、一朝一夕にして超一流には決してなれないが、超一流に見せかける事は出来る。
そうであるならば、まず外見を先行させて恥ずかしくない中身に変えて行こう。
明日から、読まなくても良いが日経新聞くらいは小脇に抱えて通勤してみたらどうか。」という
主旨の叱咤とも指示ともとれるもの。

伊那食品工業会長の塚越寛氏の100年カレンダーの話も前号で使わせて頂いた。
越塚氏から具体的事象を使いイメージを明確に持たせる事の価値を教わり、勝手ながら師と仰いでいるのだが、私がそこで強調したかったのは、具象から抽象(観念)への導きと言うような小難しい理屈ではなく、とにかく一歩を踏み出すための実感、インパクトある事象提示の効果である。

人はややもすると格好から入る事を見下す傾向がある。
教科書に折り目も付けないうちに、綺麗な表紙の参考書、問題集を揃えて勉強部屋を飾る。
テニスラケットのガットでまともにボールを捉えられないうちに、FILAやSergio TacchiniといったトップブランドのウェアやNIKEの高級シューズで上から下までプロの様な出で立ちをする。
ゴルフショップのご主人から、それはプロ仕様だからやめた方が良いと別のクラブを勧められても格好にこだわりプロ仕様を高額で購入しながら、何度手にマメを作って練習しても上手くならなかった等々。
誰しも似たような事をして、親や周りの人からたしなめられた経験はお持ちの筈。
これらは全て自分の経験だが、私は敢えてこれを肯定こそすれ否定はしない。

冒頭でのエピソードも真面目なもので、直ちには読まないだろう日経新聞を小脇に抱えてエリートビジネスマンの振りをする功罪を考えて欲しい。
罪があるとすれば、月に数千円程の購読料の支出、これを無駄な出費と見做す事であろうか。
一方功はどうか。
少しでも見た目に近づこうとするマインドの覚醒があり、経済ニュースへの興味の増幅などに繋がれば功の勝ちは明らかである。
仮にマインドに何の変化が起きなくても、その方面においての自分は、それだけの者と己のレベルが明確になるだけでも功に分がある様に思える。
実験の失敗は失敗ではなく、そのやり方での成功は無いと言う知見の蓄積になる事と同じ理屈である。

人それぞれの範疇である事は十分承知した上でも、私はまず手っ取り早く出来る事をして、その後の自己発見、マインドセットや自己啓発のモメンタム(慣性力)に繋げる方が、これとは逆の慎重なやり方よりは良いと勧めたい。

もう半世紀も前の運転免許試験場での事、一緒に試験を受けた同世代の一人に、いつも難しそうなビジネス書を手元にしている青年がいた。
知り合いになり、知性的な話し方も好感が持ててこちらも少し気取って小難しい話をした。
間もなく知人から、彼はその知人の先輩で皆が敬遠する名うての不良少年だった事を聞いた。
知人にビジネス書の話をするとそれはポーズだと一笑に付された。

彼の心根は分からないが、地元での悪評を断ち切る手段としてのポーズだったとしたら、少なくとも、知人から過去の素性を聞き、残念ながら少し偏見を持ってしまうまでの私に対しては効果抜群で、格好先行型の成功事例に成り得る可能性は高かったと思う。

それから10年程後私は米国に駐在する事になった。
駐在と同時に、『Wall Street Journal』『Washington Post』2紙の購読を始めた。
まだ海外駐在がそれ程一般的ではなかった事も意識してか、エリートビジネスマンに成らんとの格好付けだった。
大した英語力もなかったので、毎朝届く分厚い紙面一面だけ、解らない部分を赤ペンでマークしながら格闘した。
駐在期間中続けた記憶は無いので、両紙を毎日読み、英語力を上げ、そこから得られる世界経済・政治への理解を深めると言う初期目標から挫折したのだと思う。
ただ、明るく賑わうオフィス街を自信を持って闊歩できるように、誰に対しても堂々と対応できるようにしたい、しなければならないと言う原動力になったのは確かである。
なぜなら、もしあれが、『Wall Street Journal』『Washington Post』というアメリカンエリートの御用達紙ではなく、ナンバーワン大衆紙の『USA TODAY』だったらそこまでの原動力にはならなかっただろうから。

その後、結果論ではあるが上記思考を私はふたつに分化させて活かしてきた。
ひとつは文字通り格好こと始め、形先行で後を引っ張るやり方である。
象徴的なのは、訴訟や係争が相次いでいた知財部長時代に米国のNSC(国家安全保障会議)に倣って「知財安全保障会議」を設けた事。
訴訟の提起や類似の情報を受けた途端に会議を招集して対応するシステムである。
格好先行が故、作戦室の整備、報告系統の迅速化整備や作戦指示の精選化が面白い様に進んだと記憶している。

もうひとつは少し応用的になるが初心忘れるべからずの指導である。
具体的な指示はシンプル。プロジェクトはまず命名しよう。
つまり名前という格好を先行させようというもの。
きな臭い例示をすればアメリカ軍が作戦名で使う「砂漠の嵐」「不朽の自由」的なものである。
プロジェクトに思いを込めて命名すると言う事は、そのプロジェクトを大切に出来るだけでなく、目的を見失わない為の効果的な仕掛けと説いてきた。
一例を紹介する。
私は知財部長として、他社に侵害警告をする時は事前に特許の有効性(特許庁の審査に重ね独自に確認)、侵害の確証の担保を条件とし、その上で「うちの特許を使っていますよ」ではなく「こんな特許に興味はありませんか」とソフトなアプローチを基本としていた。
そしてこの一連の作戦を「天使の誘惑作戦」と名付けていた。
天使の様に全てお見通しな上で優しく誘うと言う意味を込めたものであった。
自然と名は体を表し、この作戦名の下ではこれに外れた対応は出来ない様になった良い仕組みだったと自負している。

もっとも他社から手加減を求められた事を考えると「天使の迷惑」の方が作戦名としては妥当だったかもしれないが。

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