コラム

夢の実現と宿命論

世間には「どんな***も解決出来る」とか「どんな***も実現できる」的な啓発本などが数多く出版されている。
本の詳述は避けるが、私もかつて、「どんな悲しみにも耐えられる」なる本と「どんな夢も現実化できる」なる本を手に取ったことがある。
正確には、前者は40代の頃興味を惹かれ内容を確かめ、後者は20代か30代の頃、自己実現の助けに読んだ、と両者への距離感は違ったが、肯定感、否定感ないまぜに心に残っている。

前者には、「とても耐えられない悲しみに絶望していたが救われました」なる趣旨の帯が連なっていたので、そんな魔法があるのかと極めて懐疑的な興味を持った。
自分に起こる全ての困難や不幸は、この世に出てくる前に自分自身がプログラムしたものであると言う主旨。
人は何回か輪廻転生しその度に魂のステージを上げなければならず、魂を磨く為に前世でまだ自分に足りない修行のイベントを自分でデザインし、それをこの世でこなしているものなので、悲しむ事は無いと言うものであったと記憶している。
輪廻転生、魂の存在などを信じるかどうかは別として、そこまでの精神性を持てる人は中々稀で実践論までの咀嚼は難しいと思った。

広義の意味で、同じマインドセットを主眼にした物でも後者は方法論も伴い実践的である。
「どんな夢も実現化する」為には、まず夢を明確に書き出す、次に夢を実現した自分をリアルに想像する、夢の実現の為に実施する事を定め実現するまで努力する。
言わばこれだけである。
ここで非常に重要なことがふたつ。
まずは、夢を実現した自分を想像することである。
例えば億万長者になりたいと夢見たらそれを貼り紙などにして毎日その目標を目にし自分に刷り込みつつ、指先が札束の感触をリアルに感じるほど想像し続ける事。
ふたつ目はもっと重要な事、実現の為に何か犠牲を差し出す事である。
睡眠時間であったり、友人との交友時間であったり、趣味の時間だったりと多くの場合は時間となるのだろうが。
その時間を夢の実現の為に充てろと言う事だろうと理解している。

「継続は力なり」はこの事を見事に一言で言い表している教えである。
多くの成功者と挫折者を生んだこの言葉には、重要なファクターが添えられるべきである。
「好きこそものの上手なれ」「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」と言うことわざがある。
「物事を知っているだけの人は、それを好きな人にかなわない。それを好きな人もそれを楽しむ人にはかなわない。」と言う事と理解している。
強烈な思い出として、とても負けず嫌いの自分がどんなにごまかしてみても、子供の頃の虫取りや魚とり競争、はたまたお絵描きやプラモ造りから学校での鉄棒や球技まで、とてもかなわない悪友がいた。
こんな経験は誰もが持っていると思うが、きっとそれを楽しんでいた友達と楽しさはさておきその場を取り繕った自分の差だったのかも、と今ではやっと素直に認められるようになった。
人の負け惜しみが素直な感情に昇華するまでなんと時間のかかる事か。

上記に例をとるまでもなく、楽しい事は続けられるし継続の精神的エネルギーはかからない。
だからいつまでも続けられて知識は蓄積するし技は上達する、そしてそのための精神的エネルギーはかからない。
まさに「継続は力なり」である。
ではなぜ皆がそうならないのか。
みんな好きな仕事だけをし、その道を究め世の中が回ればそれに越した事は無い。
小中学生の時に学ぶ産業構造の推移に疑問をもったことは無いだろうか。
学校で教えられたように、世の中の発達と共に、農産物生産系の一位次産業から鉱工業系の2次産業に、やがてはサービス系の三次産業にシフトする構造を正とすると、人類はいずれ耕作で食料を作らなくなり、皆がユーチューバーの放送ばかりを聞いて息をしていくのか。
需要と供給、科学技術の進化でそんな事は起こり得ないにしても、ただ一つ、間違いなく言えるのは、必ず(少なくとも当初は)本意でない仕事でひとに尽くす人が多く生まれる事である。

繰り返しになるが、自分が楽しいと思う事なら放っておいても何かを犠牲にして継続するはずである。
ただ人は志ならずの道を選ばざるを得ない事が多々ある。
その時それを楽しめる夢、目標にどう変換できるのか。
記述の書でもその方法論には触れられていなかったと思う。

ただひとつ、悲しみに耐える事も、志ならずの夢を夢として追わなければならない事も全て自分の人生である。
一旦、自分に起きた事象を受け入れてそれを転換点にする事の重要性はよく言われる事ながら、自分事に落としてみると極めて難しい。
こんな時、上記両書の終着点としても当てはまりそうな言葉「宿命」が観念的価値を持つように見える。
文脈によっては物事を諦観するニュアンスの強い「宿命」はポジティブにもネガティブにもロマンチックにも使われるがその言葉の本質は哲学や宗教で説かれているのだろうか。

自然科学に目をやると、AIを筆頭に科学の進展が人類に福音をもたらす事を信じて熾烈な競争が行われている。
大学等高等教育でも自然科学が重要視されそれに伴う施策も施されている。
科学技術立国としての日本の立ち位置を考える時、研究開発投資はまだまだ伸ばすべきだと思うが、同時に科学技術をコントロールする理念、哲学とまでは言えないまでも、前述のような思いにも時には心を致し精神性のバランスも考えてみたい。
特に、多くの他国に比べ、哲学的、宗教的教えが穏やかで多様な思考を謳歌できる日本においてだからこそ感じる事が多い。

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