交渉Win-Winの幻想
今まで一般的にあまり使われなかった言葉の中でも毎日耳にする言葉がある。
トランプ大統領が大好きな「ディール」である。
「駆け引きを伴った取引、交渉上の落としどころ・決着」のようなニュアンスがしっくりきそうである。
国と国との交渉にしても、個人間の交渉にしても「ディール」の前段階として登場する言葉が「Win-Winの関係を目指す」であろう。
私には、交渉上弱い立場にある方が良くこの言葉を口にしているイメージがある。
知財関係の交渉事が仕事の中心近くに位置づけられていた私も、少なからず交渉のスキルには興味が有り上司や先輩の指導だけでなく自己啓発的な勉強もした事があった。
「ハーバード流交渉術」等の関係書を読んだり、何事も交渉の国、本場米国で「米国マネジメント協会(AMA)」が主催するセミナーに参加したりしたが、極意は会得出来なかった。
そもそも極意などが有るのかどうかも分からないが、交渉の基本はとてもシンプルで、自分の得たい結果にどう流れを作って相手を誘導するかである。
一般的にはまず自分が望むものよりも高い球を投げておいて、譲歩をした形で元々の狙いに持って行く事であろう。
唐突ながら、織田信長が配下の武将の領地替えにこの手法を使ったと何かの本で読んだ事がある。
最初は噂話程度に大変な僻地への領地替えを匂わせておく。
上意下達の統治時代、何を言われても仕方ないと意気消沈している武将に少しだけましな領地を下賜する。
するとその武将は、「上様、有難き幸せ」とばかりに涙ながらに感謝し、喜び勇んでその地に赴いたというものである。
これなどは交渉術の基本中の基本のエピソードで分かり易い。
AMAのセミナーで最も重要な交渉手段として力説され、何回も演習までさせられて覚えている「BATNA」(Best Alternative To Negotiated Agreementの略で、交渉に於いて第一選択肢で合意できない場合の為に用意しておく次善の選択肢)を考えるのは交渉準備に於いては重要であるし、如何に第一選択から実質身を削らずに削ったように見える第二選択肢を設定して、最悪でもそれを得る為の交渉戦術をあれこれ考えることは楽しい作業である。
これらからも明らかなように、殆どの「Win-Win」は元々、「Compromise-Compromise」(妥協対妥協)のはずで、理屈上は、交渉当時者両者の欲しいものが一致していない限り「Win-Lose」にしかならない。
従って、何とか我慢できる交渉結果が得られれば、当事者達は対第三者だけでなく仲間側(国家間交渉であればお互いの国民向けに)へのアピールの意味も込め「Win-Win」の決着が出来た、と喧伝する事になるのであろう。
ただ本来、交渉の立場的優劣は極めてシンプルであり、結果を強く欲する側つまり大きなリスクを背負う側が弱く、結果にもあまり頓着しない方が強いと言う簡単な構図である。
経験を例にとれば、特許絡みの係争事でも、相手がNPE(Non-Practicing Entit 所謂パテントトロール)の場合は象徴的である。
関係者にはご承知の通りNPEは特許権を武器に、企業から特許の実施料あるいは和解金を得る目的で活動する者達で会社組織もあれば個人もあるが、通常の戦いと違い、こちら側からの攻撃対象(こちら手持ちの特許による差し止め請求や実施料請求)となる実体を持たない為、立場的には圧倒的に優位である。
この場合、よほどの特殊なケースでも無ければ、こちらにはビジネスを止められるリスクがあるのに対し、先方はせいぜい特許が無効とされるか、裁判費用浪費のリスクでありバランスしていないからである。
当時の私には、特許係争に限らず、これ程アンバランスな戦いは世の中に無いように思えた程である。
このような不利な状況を私はどう収めていったのか、一般的に参考となる部分もあると思うので、わかりにくさをご容赦頂き簡単に述べてみる。
既に「Win-Win」は無いこのケースで私はまずCompromiseの指標となる和解額を設定した。
それは最後まで裁判で戦い抜いて負けた時に想定される最悪の推定額(差し止めを回避する為の高額な和解額)に、こちらの抗弁として使える武器(公知資料による特許無効、ダブルパテント違反等相手の特許の瑕疵、先行技術開示義務違反等審査過程での不公正行為等)の奏功確率を掛けて係争を収める為に覚悟すべき金銭額を数学的期待値として算出したものであった。
期待値が希望的になり過ぎないよう専門弁護士との間で、特に抗弁事由それぞれの奏功確率は、過去の判例を詳細に検討の上、楽観方向に流れないように十分考慮する工夫もした。
そうやってはじき出した期待値を戦略目標(最大譲歩額)に、さらに使える可能性のある互いの武器(継戦能力の為の経済力、交渉過程で探り合った戦う意思の強弱、裁判になった場合の社会的評判リスク、司法裁判以外に取り得る行政的手段の有無等)を加味し、落とし所を調整しながら交渉を進めていった。
そのまま戦えばリーディングケース(最初の判例)に成り得たかもしれない案件の決着をあきらめざるを得なかった事も含め、私が関わった特許的争い事は客観的にはほぼ全て「Compromise-Compromise」だったのだろうが、心の中にWinはいくつも残っている。
それは、その時点でやれる事を尽くし、関係者に説明責任を充分果たせた案件である。
得たい結果の詰め(上記では和解額の目標値)や、当事者によって千差万別の与件の検討に、まだやれる余地を残したままの決着をしていたら心の中のWin はおろか、「Compromise-Compromise」とさえも評価されない交渉になっていたに違いない。