コラム

日本の凋落を食い止めるために何をなすべきか

時代の変革の対応に遅れている日本
「日本の科学立国の実像-復活か失速か徹底討論-」をタイトルに掲げたシンポジウムが
先ごろ、プレスセンタービルの大ホールで開催され、多くの課題と解決策が提案された。(シンポジウム報告)

これは認定NPO法人21世紀構想研究会の創設25周年記念イベントとして、
昨年10月からこの一年間に開催したシンポジウムの締めくくりのセッションだった。
1~3回までは、小中高と大学の教育現場の疲弊の現状を指摘し、ここを脱却する発言に終始した。

日本のGDPがこの20年間、ほぼ横ばいで推移している。
先進国では日本だけの状況でありこれをどうとらえるのか。
並行して近年、AI技術の進展によって、技術革新が局面を変えて大変貌を始めている。

教育現場、産業技術、ビジネス手法の急変は、
人々の生き方、考え方にも大きな影響を及ぼしており
加えて侵略戦争、民族戦争が勃発している。
戦場では旧来にない武器が飛び交い、無人ドローンが攻撃を仕掛けている。

想像を絶する変革の時代を迎えていながら、
日本は旧来の価値感から脱却できず、
政治や行政の立ち遅れが指摘されてきたが、これからどうするのか。

偏差値教育から離脱できない日本
シンポジウムを通じて常に問題テーマとして言及されたのは、偏差値教育の弊害である。
日本の小中高の教育現場は、大学入試でどの大学に入るかが最終目的であり、
それは偏差値によって決まってくる。

次表は、主催者である筆者がネット情報からまとめた、
差別化呼称と学術的研究の公的研究資金である科研費採択件数の状況、
旧帝大の設置された順番などをまとめた表である。

受験戦争の差別化呼称は、偏差値という学力だけで差別しているものにほかならない。
シンポジウムの第3回の「大学教育の立て直しを考える」セッションで、
元麻布大学獣医学科教授の黄 鴻堅(ウイ ホンキエン)先生は
「このような呼称は、外国では、ほとんど見当たらない。
誰が差別化し、どのような基準であるかも明らかにしないで、
単に偏差値でこのようなグループ呼称をするのは問題ではないか」と言う。

ある私大学長は
「どの大学でも建学の精神とその伝統、教育の目標と方針を掲げて
必死に大学教育に取り組んでいる。
このような呼称が横行する社会は、常識を逸脱している」と憤慨する。

筆者らは、この呼称の不使用を呼び掛ける運動ができないかと考えている。
人の能力は、いま実施されている学力テストなどで測ることはできない。
スポーツや芸能、芸術の世界を見れば明らかだ。
これらのさまざまな領域で、学力テストなどとは無関係の人達が才能を発揮している。

しかも多くの領域は国際的に開かれているものであり、
絶対的な力量によって優劣が判定され、世界中が認めている。
メジャーリーグで大活躍する大谷翔平選手が代表格である。
ラグビー、サッカーも年々、実力をあげている。
音楽やバレエの世界でも国際コンクールで上位にランキングされる人が目立っている。

それなのに、国力の代表であるGDPは横ばいであり、
アメリカ・中国・に次いで3位だったものが、
ドイツに間もなく抜かれようとしている。
日本とドイツの人口比は、3対2であり
一人当たりのGDPではすでに抜かれていることになる。

科学研究や教育への投資は未来への投資
では、こうした日本の長期低落傾向に歯止めをかけるには、どうしたらいいか。
筆者は、抜本的に対処するのは立法府を担っている政治家が
本気で取り組むかどうかであると考えている。

教育問題や科学のテーマは、選挙の票に結びつかないと昔から言われてきた。
選挙にさえ勝てれば、政策理念から少々外れても構わないとする考えがあるようなら
日本の政治は、これからも弱体化を避けられない。

教育や科学研究のどちらもいま直ぐに効果が期待できるものではなく、
未来に投資するものである。
いま痛みを伴っても、5年先、10年先の国力を保持できる政策を実行できないようなら、
歯止めはかからない。
次回はその方策について論考してみたい。

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