コラム

AI vs オオサンショウウオ

昨今、高速道路のSA(サービスエリア)はとても綺麗に整備された所が多く私もよく使わせて貰っている。
その中には高速道路上を走り抜ける車両を間近で見られる所も有り、たまに観察する事がある。
その時感じるのは車速がもたらす不快感であり、これをタイヤの轟音が恐怖感にまで増幅するのが分かる。
時速100キロを少し超える程度のスピードであろう。
私も高速走行時には周りの車と同調し走行するのだが、とても平穏な雰囲気の中で気持ちよく運転している。
言うまでもなく不快感、恐怖感の正体は彼我のスピードの相対差である。

物理的数値と人の感性との関係としてより広く語られるのはパーソナルスペースである。
親密さや親しさと言った関係性ファクターと、エレベーター内や電車内と言った環境ファクターによって変わる不快な距離感を論じているものである。

いずれの場合も支配的要素は私たちが避けて通れない物理量(スピード、距離)であり、“頻繁”に不快感に見舞われなければ日常生活を送れないようになっている。
少々深刻なニュアンスを出したが、その状況は物理的ゆえに救いがある。
“頻繁”であっても殆どの場合逃れる事が容易だからである。
猛スピードで走る車の道路からは離れれば良いし、混んだエレベーター、電車からは出れば良いだけの事である。

それでは、不快感や恐怖感をもたらすスピードの相対差や距離感がもし逃れようの無い物だったらどうしたら良いのか。
私は、生成AIの発展スピードと、この派生として高度に自分を包囲し、距離を詰めてくるプライバシーへの干渉にこれを感じる。
爆速で進化する生成AIの管理の問題は、開発主体や関係国、国連によってまで議論されているが、私の感じているのは今のスピードが人類の生息と調和し得るのかと言った肌感覚の不快感である。

スピードは競争力の最も重要な要素だと言い続けて来た自分の中に宿ったこのアンビバレント(両価性)な感情が、私を不快感の淵に追いやっている。
何か既視感を感じて手繰り寄せてみたら遠い昔に読んだ漫画の場面がふたつ浮かんだ。

ひとつは、手塚治虫氏のものだったと思うが作品名は浮かばない。
その場面はこうだ。
ある科学者がひと舐めすると時間を何倍にも延ばせる薬を発明するが、対立する軍事政権に拘束され寝かせない拷問を受ける。
予め絆創膏の裏にその薬を塗っておでこに貼っておいた彼は、兵士の目を盗んでそれを剥がしひと舐めしてはまた貼っておく。
兵士たちは寝かせないように彼を起こし続けるが、彼は一瞬目を閉じただけで十分な睡眠時間を確保し続ける。
打つ手の無い政権側は彼を銃殺刑にかける。
銃殺刑前に薬を舐めた彼は何千倍か何万倍かに伸びた時間を使い危機を逃れられると余裕をもって刑場に臨む。
銃口から弾丸が発射されるのを目隠しもなく見ていた彼はその時点で絶体絶命に気付く。
薬の効果で弾丸は止まっているかに見えたのだが、彼の手足や身体系統は全て常人と同じで、ピクリとも動かせないままゆっくり迫りくる銃弾が身体にめり込むのを見る運命になったと言うもの。

もうひとつは作者も出典も定かでは無いが、SF系のもので、音速より早く動ける能力を持つ主人公の活躍物。(恐らく専用の戦闘服でない)服で危機に瀕した主人公が能力を全開にする。
彼は瞬間移動レベルの速さで動くのだが、まとった衣服は彼の身体と大気との相対スピードに耐えられずボロボロにちぎれ飛ぶと言う場面である。

なぜ、はるか昔の記憶であるこのふたつが蘇ったのか。
共通するのはスピードと副作用ではないのか。
現実として、とてつもないスピードで進化する生成AI。
これがもたらすだろう、そして想像を超える恐れを予感させる未だ見ぬ副作用への恐れ。
これがひと時も切り離せない不快感の正体だとの認識が直感的に類似の記憶を呼び出したのだと合点がいった。

物理的現象がもたらす不快感ならば、それを遠ざけるか最悪でも逃げれば対応できる。
それでは空気の様に我々を取り巻き常に精神に負荷をかけ続ける物、例えば私が感じている様な無秩序のまま見当もつかない速度で変わってゆく物への不快感や、100年も遡ったような劣悪な政治環境への閉そく感等、逃げられない物にはどう対峙したら良いのか。

私は愛らしい容姿で大好きなオオサンショウウオを師匠にしようと思っている。
言うまでもなくオオサンショウウオは両生類。
彼らは自分を取り巻く水、時には空気との間に常に湿潤な粘膜をまとい皮膚呼吸をしながらも体を保護している。
この粘膜機能を身に付ける事で、物理的に逃れにくい不快感から自分の精神性を健全に維持しようと言う作戦である。
それではここで言う我々の粘膜とは何か。
SFなどでパラレルワールドなるワードがしばしば登場する。
自分の周りにもうひとつ別の世界が存在する概念の様だが、一時的にでもトランス出来る(逃げ込める)パラレルワールドを持ったらどうだろうか。
特段身構えなくても、心から没頭できる趣味などは持ってこいだろうし、瞑想・墓参など、より精神性への働きかけが強いものでも良いだろう。
肝心なのはそれをパラレルワールドと認識出来る力である。
精神性の切り替えが不器用で、それを持ち合わせていなかった私だからこそ、想像を遥かに超えるスピード感を持った世界と自分との空気摩擦を強く感じていたのかもしれないが、パラレルワールド的概念を保護粘膜だと意識する事で精神力の構造的武装が出来た。

鴨川はオオサンショウウオの生息地である。
豪雨後激流となった鴨川をオオサンショウウオが上流から市街地近くまで流されて来る事がある。
国の特別天然記念物として人が介助できない彼らはどう遥か上流の居住場所まで帰るのか。
自分を取り巻く周りのスピードなどにはとんと無関心でおっとりとした足取りで帰る姿を想像したらオオサンショウウオ作戦がより輝きを増す感じがした。

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