コラム

法の統治 安定の限界?

昨今、悲惨な自動車事故が「危険運転」なのか「過失運転」なのかとか、選挙における特殊な活動が「選挙妨害、公職選挙法違反」なのかそれとも「選挙活動や言論の自由」の範疇なのかとか、しばしば世間の耳目を集めている。

もともと日本の司法制度にはなかった裁判員制度を導入したのは、一部裁判官の負担軽減を狙う意味もあったようだが、本筋は上記のような事案に対しての裁判所の判断と一般市民感情の大きなずれを是正する為であったと認識している。
そんな意味で私は裁判員への招集に期待は持ち続けているのだが、周りを含めてみても声がかかった形跡はない。

上記のような事案を、常に厳しい側から見がちな私に、ある経験が蘇った。

私は工学部の出身であるが、会社勤めをしながら法学部でも学んだ事がある。
仕事の負荷も高くなった30代の前半であったが、とある事情から法学士の学位が欲しくて遠距離通学の時間とコストをかけてスタートしたものだったが直ぐに学問に夢中になった。
なかでも特に刑法は性に合っていたようである。
興味があれば勉強もする、勉強すれば自然と成績もよくなる好循環でほぼすべてにA評価(20歳前後だった学生時代とは別人のよう)であった。

その中でひとつだけレポートの書き直しを指導された案件があった。
「赤かぶ検事奮戦記」シリーズの作者でも知られ弁護士でもある作家、和久峻三氏の小説「有罪の二つの顔」を読んでの考察的レポートである。
旅館で豪遊した挙句、そのままドロンした放蕩息子的若者と、これとは対照的に行方不明の夫を探しに旅館で何泊かした後、路銀がきれてしまい、知り合いがお金を持ってきてくれる旨を告げて立ち去らざるを得なかった気の毒な女性の事例が書かれたものであった。
前者は罪に問われず、後者は詐欺罪が課せられる結末に、憤りにまかせて、無責任極まりない放蕩息子を無罪にした弁護士の反社会的側面を得々と綴り見事に不合格になった。
その時の刑法担当教授が「してやったり」とほくそ笑んだとは思わないが、彼が教えたかったのは「罪刑法定主義」だった事は明らかである。
つまり、けしからぬ行動に見えても犯罪要件を満たしていなければ有罪にならず、とても同情的な状況でも規定の構成要件を満たせば犯罪が成立する、と言う原則を読み解かせたかったのである。
詐欺罪が成立するには、①犯人による欺罔(うそ、騙し)行為 ②それによる被害者の錯誤
③その錯誤に基付く財物、利益の移転、が確認されなければならない。
放蕩息子の行為はこれを満たさず、女性の行為が全てを満たしただけの事であった。

冒頭に上げた事例を初め「これが正義か?」と憤る事案がしばしば見受けられてストレスフルな世の中であるが、罪刑法定主義の観点から司法関係者も苦慮していると認識し、不合理があれば法律やルールを変えて対応しなければならない。
これが法治社会を維持し、統治パワーの属人的偏りを許さない基本であろう。

この観点で世界をみると幾多の専制国家は言うに及ばず、今や、多くの民主主義国家が最も信頼を寄せてきた米国まで雲行きは怪しい。
言い分はあろうが、自国に都合の悪い国際協調主義推進の為の機関からの離脱。
目的ありきでロジックの明確でない関税の一方的押しつけ。
不都合な事実はフェイクニュースや陰謀と一蹴。盲目的に見えるその熱狂的支持者達。

多少なりとも米国のビジネス、司法制度に関わってきた身からすると「アメリカの正義はどこに行ったのか?どこに行くのか?」の感が強い。
法による統治は世界的に崩壊するのか。
分水嶺にいるように感じるのは私だけではないはず。

最後に、私の中では分水嶺の希望側に位置する米国での経験をひとつ。
ある日、ゴルフに連れだって行く友人を彼のマンションの駐車場で待っていた時の事。
直ぐ出発予定の私は、玄関に最も近い身障者用のスペースに停まっていた。
他の駐車スペースへの車の出入りも殆どない時間帯、そこを必要としそうな車がきたら瞬時に動かせる体制で運転席から周りを注視していた。
まもなく一台の車が目の前を通り過ぎ少し先で止まった。
降りてきた年配の男性が杖を片手に私の車に歩みより静かに言った。
「あなたはここに止める権利がありますか?」
自分の権利は徹底的に重視する国民性だとは認識していたが、権利を重視する事は片務的(自分の権利の主張だけ)ではなくこういう事かと衝撃を受けた。
日本なら、そこどけと言わんばかりにクラクションを鳴らされるか、車に乗ったまま追い払うジェスチャーをされるだけの場面。
自分の権利を主張する前に、どう見てもルール違反の若造にしか見えない私(ゴルフキャップにいかにも活動的な装いの20代の私)の権利をとても紳士的な言葉使いでまず確認してくれた。
恥ずかしい思いの中で「No, sorry」 としか言えなかったと思うが、とても感動した出来事として、私の中に正義、公平、公正と言う米国の良い側面を構成する出来事だった。

国際ルールや地政学的関係の不安定さ、その影響下で国の統治のルールを維持し続けられるかの不安も歴史的にみればジャイロ独楽のような復元力で修正され、払拭されてきたのだろう。
それなのに今、より大きな過去の事案と比べても不安定さにおののくのは、最も力のある国がそれを生み出しジャイロスコープ機能が効かないように見える事である。

チャラく見えただろう東洋の若者に不自由な足取りで近付いて、まず権利の有無を聞いてくれた紳士が彼の国にまだ沢山いると信じたい。

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