軽い京都の散歩にて 俺はクレーマーか?
今までのジャーナルを何人がどんな気持ちで読んでくれたのかは知る由もないが、
自分なりの反省や希望も含めてそれなりに工夫してみた。
やや哲学的な色調を帯びていただろう事も覚悟の上で掲載して貰った。
今回はその中休みでもないが、簡単な随筆風の物をお読み頂ければと思う。
久しぶりに気持ちの良い土曜の早朝、
気温も下がり大変気分も良かったので朝食のパンを買いついでに少し足を延ばし散歩した。
因みに京都はパン屋の大激戦区。
鴨川の東側に位置する平安神宮辺りから、鴨川を渡り街の中心地である京都御所辺りまで、
時には犬を散歩する年配の方と話したり、
時には読経の聞こえるお寺の庭に足を踏み入れたりと、
言わば京都の朝を堪能しながらふらついてみた。
時は朝6時前、パン屋は何件も頭に浮かぶもののその時間に開業しているお店はほぼ無いので、
鴨川の堤を見ながらこんな時間にも多くの人が散歩、ジョギングをしているものだ、と感心しながら、
そしてそのほとんどがツーリスト風に見える外国人である事に二重に感心しながら
街中にたどりついた。
京都は修学旅行のメッカである。
小、中、高を問わなければ皆さん京都の町に対する何らかの記憶、想像力がある前提で、
少し描写を省略してもお許しいただくとして。
その朝の出来事に進みたい。
京都の中心街に寺町京極と言うアーケード街がある。
昼間は観光客でいっぱいになる商店街で、
アートギャラリー、伝統的和服商、おにぎり屋、カフェ、
とても綺麗な布や装飾用の包み紙のお店などが立ち並ぶ素敵な町である。
やっとお気に入りのパンを入手し、気持ちよくアーケードを独り占めにして歩いていると、
前方から若い男女がいちゃつきながら歩いてきて、
収集車に積み残されたごみの山のような塊をみて薄笑いを浮かべ、足早に立ち去った。
多分一分もたたないうちにそこに差しかかった私が見たのは
白いゴミ袋を全身にまとった年配の老人だった。動いてる気配はない。
ただこの猛暑の夏でも、あたかも真っ白いブーツのようにゴミ袋を靴代わりにまとって歩いている姿を
以前車の中から見かけた方とお見受けした事、
先の男女が比較的当たり前の様子で通り過ぎた事から
即座に最悪の事態は想像しなかった。
たた、近くに無人交番があった事、
もしかしたら少しお節介になっていた事もあってか、
交番から指示の書かれた電話番号に状況を伝えてみた。
私、「これこれしかじかで、多分心配ないとは思いますが、念のため安全を確認してください。」
先方、「場所を詳しく教えてください。寺町通の***ですね。わかりました。ありがとうございます。お名前教えてください。」
そこで私が本名を名乗ると、更に「連絡先お願いします。」
「はい090********です。」
「ありがとうございました。何かありましたら連絡します。」
警察の方も当たり前の丁寧なやり取り。
帰り道、「倒れていたように見えた人がいつものねぐらで寝ていただけならよいが…、きっと大丈夫に違いない。」
と願わずにはいられなかった。
時間が経って、何の連絡もましてやニュースもなく、
特に何の心配も無さそうとわかると、少しいやな感情がわいてきた。
こちらは本名、プライベートな電話番号まで全て名乗ったのに、
電話の向こうには何者がいたのか全く分からない。
所属や階級等全てを聞きたいとは思わないし、いたずらもあるだろうから仕方ない対応に違いない。
電話の向こうの方に横柄の欠片もなかったことが私の心を和ませてくれたのは確かであるし、
やり過ごす事も出来たのかもしれないが、
その日の気分からか、私は別の行動をとった。
朝食後、犬の散歩の途中で、近所の比較的大きな交番を訪ねてみた。
交番にしては大型で常に複数人が常駐している事も其処を選んだ理由である。
大きな社会問題になっているこの町の自転車マナー
(因みに作者は京大の理事や教授に、京大生にまず教えるべきは
算数でも文化人類学でもなく、自転車の乗り方だ、と力説した事があったが…)のよもやま話を呼び水に、
今朝の顛末を注意深く話した。
自分はクレーマーではない事をまず断った上で、善意の対応の一環としてほぼ個人情報をさらけ出すこちらに対し、
悪気はなくても名前さえ名乗らず、
ほぼ見えない組織の霧の中で話を聞くような対応は常識的にはどうなのか、
こんな気持ちを善意の第三者が抱くことも有ることを分かってほしい旨を伝えた。
部署、ましてや管轄をこえるだけで
その手の影響力を発揮する事は難しい組織であろう事も承知していたので、
情報の非対称性の是非云々等と言うような小難しい議論は避けたが、
真摯に話を聞いてくれた。
柔らかい雰囲気の会話であったことも私を改めて爽やかな休日の朝に戻してくれた。
愛犬がパピーだった頃、まとわりついたそこのお巡りさんが優しく相手をしてくれた事も
私の心に残っていたのかも。
さて、私は市民として正当な意見を主張したのか?
あるいは見方によっては今流行りのクレーマーの端くれか?