コラム

世界的分子生物学者・岡崎恒子先生逝く
DNA複製の基本原理を解き明かした画期的成果

細胞が増殖するとき、細胞核の中にある二重らせん状のDNAがまず2つに分裂して全く同じDNAを作成する。
細胞が次々と増えていくのは、同じDNAが配置されていくからだ。
アメリカのジェームズ・ワトソンら3人の科学者は、この原理を世界で初めて解き明かし、1962年にノーベル生理学・医学賞を授与された。

そこから分子のふるまいの新たな知見が次々と発見され、分子生物学と言う新しい学問が勃興して世界の研究現場は沸き立っていた。
二重らせん状のDNAが複製(コピー)して2つの遺伝子になり、それをもとに新たな細胞を作成していく。
その基本的仕組みの解明に、当時40歳の名古屋大学理学部の少壮教授が世界最先端を走っていると聞いて、取材に行ったことがある。
1971年だから、今から55年前である。

細胞分裂のときDNAはコピーされていく
すべての生物の受精卵は、細胞分裂して増えていく。
1個の受精卵細胞が2個、4個、8個・・・と倍々に増えていく。
その細胞には、複製されたDNAがすべて格納されていく。

一人の人間は、大体37兆個で出来ていると言われている。
両親から受け継いだ受精卵は、ただ1個の細胞であり、細胞核に収納されている。
それが複製を繰り返して全細胞に配置され、一人前に成長して母親の母体から生まれてくる。

遺伝子DNAは、4種の塩基が際限なく続いている化学分子であり、全細胞に全く同じDNAが配置されている。
しかしDNAをどのように複製して、同じDNAを作成して細胞分裂していくのか。

DNAは、アデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)という4種類の塩基が、無作為に際限なくつながっている単純な組成になっている。
4種類の塩基を略してATGCと呼んでいる。
DNAの梯子段は、ATGCが腕を伸ばして結ぶ構造になっている。

読売新聞 1971年7月25日付「人間この不可思議なもの」に掲載された、
岡崎令治教授の写真と岡崎フラグメントを解説したイラスト。

 

DNAが二本に分かれて再生する
細胞分裂は同じ遺伝子DNAが配置されるのだから、分裂するたびにDNAの複製をしなければならない。
どのようにして全く同じ2個になるのか。
DNAを1本のジッパーにたとえてみる。
そのジッパーが開いていく光景を思い浮かべてほしい。

太い1本が、細い2本に別れていく。
DNAを構成する梯子段も、真ん中から2本に別れていく。
このとき1本の塩基の並びが仮に「AGTCAG・・・」と並んでいたら、もう1本の塩基の並びは、「TCAGTC・・・・」と自動的に決まる。
AはT、GはCと相補的に結び合っているからだ。
それ以外とは結合しない。

逆方向に相補的に作っていく
2本に別れても、相補的に相手の塩基が決まっているので、それを補うと完成した1本になる。
つまりDNAが真ん中から2本に別れ、相補的に塩基を補充して新しい1本ずつを作り上げ、同じ塩基配列の2本になる。
実に巧妙にできている。
このようにしてDNAは、全く同じ2本に分裂し、細胞分裂をしていくと考えられていた。

ジッパーの開く光景を思い出すと、開く先からジッパーの片側を補充して新しいジッパーを2本作っていく。
補充するのは、相手方と相補的な塩基と決まっている。
DNAが分裂した先から、新たな塩基を補充して2本に完成する。
ほとんどの研究者は、なんとなくそう考え、疑問も抱かなかった。

岡崎教授は、取材で訪問した私にこう語った。
「DNAが2本に別れた先から同時進行で、次々と相補的な塩基を付けて新たなDNAを作成するという考えは、ちょっと違うのではないか。
生物が体内で高分子を生合成していくとき、必ず一定の方向にだけ部品を重ねていくのが常なのです。」

そう言われても、にわかには理解できなかったが、DNAの分裂の詳細を聞いていくうち、驚くべき事実を示されて、DNA複製の精妙な仕組みを知った。

不連続で合成するDNAの複製
もう一度ジッパーを開いた図を想像してほしい。
ジッパーの片割れが2本できる。
2本の細いジッパーの相手の塩基は相補的に決まっているので、それを補充して完成した新しいジッパーを2本作る。
その作り方は一方は別れた先から補充して作るが、もう一方は、別れた先の最後の部分から逆行して作っていくと岡崎教授は語った。

図解的な言い方をすると、2本に別れたDNAの片割れが、1つは右から左へ塩基を付けて完成したDNAにする。
もう一本は、反対の左から右へ塩基を付けて完成したDNAを作成する。
しかも一気におしまいまでその反応で進むのではなく、ある単位ごとに新しいDNAの断片を作成し、それを次々とつなぎ合わせて完成した1本にする。

「なぜそのような込み入った方法で複製するのですか?」と質問してみた。
「DNAを合成する酵素(DNAポリメラーゼ)は、『5’から3’』という一方向にしか進めないという制約があるのです。
1本に別れたDNAの一方は進行方向にスルスルと合成できますが、もう一本のDNAは進行方向とは逆に合成しなければならないので、不連続的に短いDNA断片を合成するのです。
最後はその断片を結合して新たなDNAを完成しますが、そのときの断片を岡崎フラグメントと呼ばれるようになったのです」

細胞核の中で、新しく複製されかかっているDNAの断片(岡崎フラグメント)がバラバラの状態であるのを、最後にDNAリガーゼという「糊付け酵素」でつなぎ合わせて新しい1本のDNAに完成させるという説明には、本当にびっくりした。

世界が認めたシンポジウムでの発表
岡崎教授が温和な無駄のない語り口で、初心者にも分かるように説明する話法には舌を巻いた。
30歳でアメリカに留学し、1959年にセベロ・オチョアとともにノーベル生理学・医学賞を受賞したアーサー・コーンバーグのもとで研究をしていたこともある。
コーンバーグは、DNAの合成酵素のDNAポリメラーゼを初めて単離したもので、その成果の先に残されていた課題を新たに発見しそれを解決した大業績であった。

「岡崎フラグメント」の業績はまだ一般に知られていない時期だったが、先端の研究者らは高く評価していた。
帰り際、教授はアメリカのコールド・スプリングハーバー研究所のシンポジウムで発表したとき、世界中の分子生物学者が驚き、その発表の要約が書かれたコピーを寄越した。
その中に次のような一節があった。
「岡崎とその共同研究者らは、ただ座っていればよかった。
ほかの研究者らが花を投げてくれたのである」
ここで言う花とは、岡崎フラグメントの発見を裏付ける3人の研究者らが、このシンポジウムで発表した3本の論文を指している。

突然の別れと恒子夫人の共同研究の成果
岡崎教授は、この研究成果を確定するため、さらに詰めの研究を重ね、岡崎フラグメントの存在を確定した。
そのとき実験研究に大きな貢献をしたのは、恒子夫人だった。
2人は名古屋大学理学部の同窓生だった縁で結ばれ、令治教授が理論を提示し、それを恒子夫人が実験的に証明するという二人三脚の成果を重ねていた。

この成果は、急速に世界中の実験現場から認められていく。
ノーベル賞間違いなし。
そういう声が高まっていく。
通常、ノーベル賞級の大発見をしても、それが確定してノーベル賞をもらうのに10年かかると言われていた。
年を追ってDNA分裂の仕掛けと岡崎フラグメントの存在は、動かしがたい結果として固まっていった。

ところが1975年10月、岡崎教授はアメリカ出張中に倒れ、44歳の若さで急逝した。
死因は白血病だった。
広島への原爆投下の直後に被災地に入ったことで被爆し、白血病になっていた。
まだこの医療が未発達の時期だったため、最良の治療ができなかった悲運は、誠に残念だった。

遺志をついで分裂モデルを完成
岡崎教授の遺志を継いだ恒子夫人は、岡崎フラグメントとDNA複製の実証的実験を積み上げ、ついにDNA複製の基礎原理が確定する。
基礎原理を実証実験で確定していった恒子夫人の功績は、岡崎教授の理論を裏付けた実証実験として誰もが認めていたが、このテーマでノーベル賞は出なかった。
学術的に「岡崎フラグメント」という言葉とDNA分裂モデルの真実が残されただけだった。

恒子夫人は、教授の死後も分子生物学の研究に没頭して、学術研究に多大な成果を残した。
名古屋大学初の女性教授の一人として知られ、のちに名誉教授になった。
恒子夫人はこの業績が認められてロレアル・ユネスコ女性科学賞を授与され、2015年に文化功労章を、2021年に文化勲章を受章した。

幻に終わったノーベル賞受賞
岡崎教授が健在であれば、恒子夫人と一緒にノーベル生理学医学賞か化学賞を授与されたことは間違いない。
ほとんどの科学者はそう語っている。
ノーベル賞は生存者のみに授与するという内規があり、受賞はかなわなかったのだ。

筆者はその後、ノーベル賞の研究でストックホルムのノーベル財団にたびたび取材に訪れ、内外の多くのノーベル賞受賞者とも会見してきたが、岡崎教授夫妻の業績は、こうした受賞者と比べてもそん色ない業績であり、受賞して間違いないと確信してきた。
誠に惜しい早世であり、原爆犠牲者であった。

研究の取り組んだ日々を発表
DNA複製の仕組みを解明した業績は、がん研究、老化(テロメア)、遺伝子工学などにも波及するものであり、分子生物学の基本を解明した金字塔である。
ここで岡崎フラグメントのすべてを紹介することは困難であるが、生命誌研究館の生命誌アーカイブの中で、恒子夫人が書いた「岡崎フラグメントと私」は、感動の名筆であり、是非、こちらにジャンプして拝読していただきたい。 
https://brh.co.jp/s_library/interview/32

並々ならぬ努力に敬意を表してやまず
発生学の権威として知られる東中川徹・早稲田大学名誉教授は、恒子夫人のこの名筆の存在を筆者に知らせてきた科学者だが、次のようなコメントを筆者に送ってきた。

「この名文を読むたびに、並々ならぬご苦労に対して敬意を払わざるを得ません。
分子生物学上の大発見が、日本人の手でなされたことに大いなる喜びを感じます。
この手記を読むと、RNAプライマリーの発見、その存在の確証を得るための努力は、想像を絶するものであったことがうかがわれます」

恒子夫人は、さる9月22日、消化管出血で死去した。
93歳だった。
葬儀は近親者だけで行われたという(『日本経済新聞』の報道などから)。
この訃報を知ったとき、筆者はすぐに岡崎令治教授から取材した当時を思い出し、恒子夫人の業績を思い出した。
ちょうどノーベル賞発表の時期でもあったため、ノーベル賞に届かなかった悲運を嘆きながら、科学史に残る偉大な研究業績を残すために書いた。

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