コラム

日本人ノーベル賞受賞者
免疫学の伝統を引き継いだ坂口さんの受賞

免疫学の発展は日本人研究者が貢献

間もなく迎える12月10日は、スウェーデン人でダイナマイトを発明した実業家アルフレッド・ノーベルの命日である。ノーベルは発明で得た莫大な資金をもとにノーベル賞を創設し、毎年この日、ストックホルムでは国王臨席のもと厳粛な表彰式が行われる。

今年、日本人でノーベル生理学・医学賞を受賞したのは坂口志文さんである。坂口さんの業績は、免疫反応を抑制する「制御性T細胞(Treg)」を発見したもので、免疫疾患の治療に大きく貢献した。この発見は、免疫学の基礎研究に重要な知見をもたらした業績として高い評価を受けた。

坂口さん(上)と北川さん(下)のノーベル賞受賞を伝える新聞報道

ノーベル賞授賞式では、坂口さんともう一人の受賞者、北川進さん(化学賞)の栄誉を称える様子が、日本のメディアでも盛んに報じられるだろう。

坂口さんが取り組んできた免疫反応は、生体が生命を維持するうえで極めて複雑かつ重要な機能である。このような生命現象の原理の解明は、ノーベル賞につながる新規性発見として早くから注目されてきており、日本人研究者はこの分野で、歴史的にも重要な役割を果たしてきた。

惜しくも逸した北里柴三郎のノーベル賞

1901年、第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞したのは、ドイツのエミール・ベーリングである。しかし、その研究の根幹を支えたのは、当時、細菌学の巨人と言われたロベルト・コッホ研究室に留学していた北里柴三郎の動物実験であった。

北里は世界で初めて破傷風菌の単独分離に成功し、破傷風菌の抗毒素を発見して世界に名を上げていた。コッホの高弟だったベーリングと一緒に、感染症のジフテリアの血清療法の研究を始めており、動物にジフテリアの菌体を少量ずつ投与することで改善することを発見していた。

ジフテリアはジフテリア菌により発生する病気で世界的に流行していた。心臓や神経に作用すると重篤な病状になり、感染者の10%ほどが死に至る感染症だった。

血清(血液が凝固した時、上澄みにできる淡黄色の液体成分)中に存在する抗体がジフテリア菌をせん滅することを発見したもので、血清療法と言われていた。

1890年、ベーリングと北里は連名で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表した。しかしこの業績でノーベル賞を授与されたのはベーリングだけだった。当時は1分野に1人の授与と決めていたからだが、現在の1分野3人までの制度なら、北里は共同受賞者として名を連ねていたはずだ。受賞後にベーリングは、授与された業績について「北里の共同研究なくして出来なかった成果である」と発表しており、多くの科学者がこれを認めてきた。

抗体遺伝子の仕組みを解明した利根川進さん

免疫とは人体の防御システムの総称であり、端的に言えば「抗原・抗体反応」のことである。例えば病原菌・ウイルスやこの世に存在するあらゆる毒素は抗原と呼ばれ、これが人体に入ってくると生体はいち早く抗原をせん滅する抗体を産生して防御する。これに負けると病気になり、死につながることになる。

抗原は地上に無数にあり、人体はそれを撃退するための抗体を産生するシステムを持っている。しかしなぜ、そのようなシステムを持っているのか医学界の最大の謎になっていた。その仕組みを遺伝子レベルで明快に解き明かしたのが、1987年にノーベル生理学・医学賞を単独で受賞した利根川進さんである。

この業績は、100年に1度の快挙とも言われるほど価値の高い業績だった。利根川さんはこの分野でほぼ10年間、誰も寄せ付けない独創的研究成果を積み重ねた。当時のノーベル生理学・医学賞審査委員会の事務局長、ヤン・リンドステン博士に筆者がインタビューしたときも、「彼は独走状態でゴールのテープを切った」と語っていた。

利根川さんがそれまで、「遺伝子は固定した情報であって変異はしない」と言われてきたセントラルドグマを「抗体産生のとき、遺伝子を組み替えて作成する」という仕組みを遺伝子実験成果で明快に示し、世界中を驚かせた。

今回の坂口さんの受賞は、利根川さんが示した免疫の基本原理をさらに発展させ、細胞レベルで免疫反応の制御機構を詳細に解明した点に大きな価値がある。

日本人のノーベル賞受賞は今後も続くのか

2000年以降、日本人のノーベル賞受賞者は増えてきた。今回の受賞で、自然科学分野の受賞者数は27人になる。表で見るように、自然科学分野の日本人受賞者数は、1987年の利根川さんの受賞者までは5人に過ぎなかったが、2000年の白川さん以降、増えてきた。その数は、アメリカに次ぐもので、戦前、一人も出なかったノーベル賞受賞者が、21世紀の変わり目から急激に増えてきたことは、日本の科学研究が急速に発展してきた証拠でもある。

自然科学分野の日本人のノーベル賞受賞者

停滞する科学立国

20年ほど前から、日本の政治・経済の停滞と科学予算の伸び悩みから、日本の科学立国への懸念が広がっている。日本の研究開発投資は長年横ばいを続ける一方、国際的な研究力は確実に低下しているからだ。

文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、科学論文数で日本は1990年代後半には世界2位であったが、2025年には5位へ後退した。論文の被引用数が上位10%に入る「注目論文数」は、いま世界13位である。急速に研究力を伸ばした中国はすでに米国を抜いており、日本の相対的地位が急落している。

研究開発費を増やす主要国に対し、日本は停滞が続き、研究者の卵である博士課程進学者も増えていない。このままでは、ノーベル賞級の研究成果を生み続ける土壌が細っていくのではないか。日本の科学技術力の未来に、いま大きな課題が突きつけられている

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