篠笛と歴史の真実は霧の中
「佐々木さんバッドニュースです!」
挨拶早々にお師匠さんの口から出たその言葉にポカンとしていると、それに続けてもう一言、「牛若丸が五条の橋の上で吹いたのは篠笛では無くて龍笛だったみたいです。」
これと言った趣味の無い私が、趣味作りの意味も込めて近所の篠笛教室に通い出したのはつい最近の事。
龍笛の方が少し太く見た目も音色も篠笛よりは力強い感があるが、どちらも和楽器の横笛で、お囃子などで良く使われるものである。
最初の稽古の時に目標を聞かれ「そうですね、いつかは月夜の五条大橋を牛若丸のように篠笛を吹きながら渡ってみたいですね。」と咄嗟に出た私の戯言を覚えていてくれた師匠の発言だった。
最初の会話を気にかけていてくれていたからこその有難い情報だったが、小さな断片ながら歴史の真実とは?と言う疑問が頭をよぎった。
弱い側、敗れた側にシンパシーを持ちがちな国民性を表す熟語「判官贔屓」の由来となった源義経(判官は検非違使と言う官職時に呼ばれた九郎判官が由来)の物語は、文字通り多くの日本人に知られている。
敢えて物語と書いたのは、牛若丸が義経の幼名だった事は確かだとしても、鞍馬寺での天狗(恐らく修験者)との修行や、五条の橋の上で長刀振り回す弁慶を打ち負かし、家来にした事等の真偽は定かで無いと思ったからである。
大筋として例え近い事実があったにしても、笛を吹きながら橋を渡ったのか、それが龍笛だったのかなどの真偽は深い霧の中のロマンでしかないように思える。
先日、別の事案にも興味をひかれた。
それは、本能寺で織田信長を討った時、明智光秀が現地本能寺にはいなかった可能性を示唆する古文書が新たに見つかったニュースである。
それによると、信長が本能寺から脱出し、三男信孝(当時四国攻めの為大阪に布陣)の下へ逃げ延びる事を警戒した光秀が、本能寺から大阪への逃げ道となる鳥羽辺りで陣を張っていたと言う説を担保する内容であった。
元々可能性のひとつとして語られていたが、よくある「もしもこうだったら」系の軽い物ではなく、歴史学者も注目に値するようなものだったと記憶している。
義経の時代からおよそ400年も現代に近く、しかも日本史における最大のクーデターでさえ真相の確定がおぼつかない記録がそこに有る事を思うにつけ、真実の所在とその価値とは何かを考えさせられた。
古今東西を問わず、歴史は勝者によって都合よく書き換えられ上塗りされるものである事を私たちは知っている。
未だに近隣諸国との紛争の火種になる歴史認識と言う魔物から我々は何を学ぶべきなのだろうか。
厄介な事に過去の出来事は、デジタルとアナログ、更にはこれに伴う人為的解釈が複雑に入り混じる。
例えば、100年近く前に、日本が中国大陸に軍事侵攻したのは事実である。
それに伴う日本軍の行為やその犠牲者数はアナログで、被害を及ぼした側と受けた側の認識や解釈が大きく異なる。
更には人為的な脚色がこれに輪をかける。
事実を無かった事にしたい側と、針小棒大に脚色したい側、両極端の狭間に必ず存在するはずの真実はいつか霧の中に消えるのだろうか。
直近に目を向ければ、いやいやながらも財務省が公開せざるを得なかった森友問題に関する文書が真実隠しの黒塗りだらけ、所謂のり弁状態だった事に憤慨された方も多かったのではないだろうか。
何を隠し何を(誰を)守ろうとしているのか。
きっと誰かに指示されてのお役所仕事、この黒塗り作業自体は些細な行為と言えなくもないが、真実隠しのこんな積み重ねが大きな歴史の流れまでも覆い隠してしまうような事にならないだろうか。
そんな中でふたつの事を提案したい。
ひとつは守りの為の個々人のマインドセットである。
生成AIの進化と、善意悪意ないまぜになった使われ方への対抗策として頻繁に言われている事だが、改めて私たちは歴史的事案も含めて歪められたものを見せられているかもしれないと疑って見る事。
そしてそのように情報を懐疑的な警戒感を持って見る事の出来る側が必ずしもマジョリティーでは無いと認識する事。
その際、情報操作に自分の行動を揺さぶられない為にも極端ではない情報操作にこそ留意すべきであろう。
ふたつ目は、真実の所在に関するものである。
進化系の生成AIが吐き出す情報は、それ自体の真偽を検証し難いと言う致命的欠陥がある。
人為的に歪める意図で使われたものは極端な情報操作の類として、法的な規制、プラットフォーム側の規制や倫理的発展などにより修正されて行く事を期待するしか無いのだろうが、修正が効きにくいのがAIにフィードされる生の情報の精度である。
この情報(多くはデータの類)がいかに正確な物かは、先述したのり弁の例を出すまでもなく、公正、正確に今を伝え、その時代を生きる人々が歪みなく学び活かせる知恵の礎である。
正確なデータを保管・維持し、いくつもの類似データが林立する中でも、ユーザーから絶対の信頼を勝ち取れるデータセンターになれれば、それだけで大きな存在価値が持てる事になるのではないだろうか。
かつて内閣府の知財戦略会議で、日本が国際標準化競争を勝ち抜く戦略の議論をした事があった。
上記ふたつ目の提案は、その時、いみじくも自分が発言した次の内容に重なった。
「日本が利害の対立する国際標準化競争で勝つのは難しいと思います。巧みな標準化戦略を伝統的にマーケット戦略として来た欧州、自国標準を市場規模に物を言わせごり押し出来る中国、自国で全て完結出来る独立独歩の米国、このような国や地域相手に下手な戦術を練るよりは、そのような地域や国同士が利害の対立により動けなくなった時、日本に聞いてみようと思われる存在になるべきです。その為に、日本は自国のエゴに縛られず科学的にいつも正しい事を発信し続ける国になる事が重要ではないでしょうか。」

