コラム

史上最大の作戦と人事

しばしば古い映画を例示して恐縮だが、私に組織・人事マネジメントを考えさせてくれたのが「史上最大の作戦(The Longest Day)」と言う映画である。
戦争映画の大作で、第二次世界大戦時、ドイツ軍が守る北フランスのノルマンディー海岸にアメリカを中心とした連合国軍が上陸し、ナチスからヨーロッパ開放への橋頭堡を確保したノルマンディー上陸作戦を描いた物である。
強硬上陸を試みるアメリカ軍に対しドイツ軍が重火器で射撃を浴びせ、多くのアメリカ兵が上陸用舟艇から海に飛び込んで逃げ惑う場面が描写されている。
浅い海に潜ってみても容赦なく銃弾は浴びせかけられ、被弾した隣の戦友が力なく浮き上がる場面などはリアルで印象的である。

私はどこかで「損耗率」なる言葉が戦争で使われる事を知っていた。
一般の社会生活ではあまりポピュラーではないが、事業活動に於いてはしばしば登場するこの言葉、読んで字の如く何かが壊れ機能しなくなった時にその比率を表す言葉として使われる。
戦争でも兵器や設備の被害に対し同様に使われるが、平時には想像も出来ない使い方もある。
戦死者(広義には負傷者も含むようだが)の比率である。
損耗率10%とは10人に1人が犠牲になると言う事である。
ノルマンディー上陸作戦でも、後に米国大統領となる連合国軍の最高司令官アイゼンハワーは、当然どこに上陸させれば損耗率が最も低いか検討を重ねたはずで、それが2%だったのか5%だったのかいずれにしても何らかの数字を置いた事は確かである。(実際の率は分からないが死傷者5万人程を覚悟していた彼がそれより低い数字に安堵したとも言われている。)

上陸初期の戦闘シーンの映像を見た時、その戦略を練っただろうアイゼンハワーを想像し、強い不快感を覚えた。
彼は数字を見ながら作戦を決定。
これで損耗率を最小限に抑える事が出来るだろうとの自己満足の溜息をついたのかもしれないが、一方、損耗率の一数値となる兵士にはAll or Nothing の世界。
上陸前に撃たれれば海の藻屑となりかねない。
戦争と言う極限状態や戦時のガバナンスの観点から当然起こり得るものであるし、上記の例だけが突出している訳でも無いだろうが、鳥の目で全体を俯瞰する者、虫の目で目の前の危機に直面せざるを得ない者の不条理が際立って見えた。

レベルの違いが大きく恐縮だが、私が生きてきた社会では、組織の人事がよく似ている。
人事は組織運営の要諦ゆえ、幾多の学者や経営者が考え方を綴っているので、模範解答はそちらに委ねる事として、ここでは人事で人を動かす立場と人に動かされる立場、両方の経験から大事な事は何か、何だったのか紡ぎ出してみたい。

企業をはじめ機能体における人事の目的は組織機能の維持発展である。
冷徹に見れば、組織間の競争に勝つ為には、一個人は、本人の好みいかんにかかわらず組織や人事権者の理論で動かされる。
昇進や降格と言った役割の変更、担当領域の変更、ロケーションの変更等様々である。
人を動かす側と動かされる側、両者の思惑が一致すれば問題ないが、人事に悩む管理職(人事権者)は多いのではないだろうか。
人事で動かされる側の育成や将来展望は十分与件に入れ結論を出してはいるのだろうが、鳥の目で全体最適を図っている(多くはつもり)側と、組織の為の損耗率の一部と成りかねない(All or Nothing)側の対立構図は付きまとう。

動かされる立場にあっては「この期におよんで今さら何も出来ない」と言うのが、多くの場合の本音であろう。
それが自分の為と納得できるのかどうかは、それまでの人事権者との信頼関係がほぼ全てとなる。
能力の無い人事権者に仕えてしまう事も稀ではないが、少なくとも自分のキャリアや将来への希望、その為に勉強している事などを普段から伝えておく事が望まれる。
そしてこれを繰り返し実施し、定着させる事が重要である。話し合いでは当然軋轢を生じる事も有り面倒な間接時間とも見られがちなこの業務、属人性に頼っていては直ぐに形骸化してしまうので毅然とした組織の強制力の下で制度化して行く事が重要である。

ただ、このような制度をベースにコミュニケーションを十分重ねてみても、不本意な人事をされた者から全面的な納得を得ることはまず難しいだろう。
その時の対応は大変難しく状況に応じて千差万別である。
私はその人事が本人の為なのかどうかを基軸にしていた、と断言したいが「悩みの中心に据えていた」が正直なところだろうか。
企業が機能体である以上、組織の観点を優先せざるを得ない事も多々あったが、その場合にも本人の為になる道を考え抜いた。
全てが喜ばれるばかりではない人事に対しての私なりの免罪符にしたかったのかもしれない。

また私には人事をする組織側にも別観点からの仕掛けが必要と考え提案した制度があった。
それは、色々な部署、国をローテーションした自らの実感から着想したセーフティーネットのシステムである。
人事異動で動く側にはとてつもないエネルギーと精神力が必要で、中には新しい部署や責任に適応出来ない人も出てくるが、これをノーペナルティーで元に戻す仕組みである。
重要なのはノーペナルティーである事。
何処でもどんな役割でもやり遂げるのが優秀人材と言うのが組織の論理であるのは今も変わらないと思うが、裏を返せば、ローテーションで成果を出せない人は出来ない人と言うフラッグが立つ事になる。
これを人事上のペナルティーにしない事で、最前線で戦う新参者が過剰なメンタル負荷を負わず、いつでも前線から離脱できるようにする制度である。
辛かったらノーペナルティーで元部署に戻すこの仕掛けが根付いたのかどうかまでは見極めていない。
積極的に新しいエリアへのチャレンジャーを増やせる効果も期待できる良い制度だと今でも思っているが。

例示した戦争でも、企業マネジメントでも、上位者が常に優秀とは限らない。
虫の目で最前線を戦う者を動かす為には、自分も損耗率計算の一数値となった経験を持ち、これを慮れる鳥の目を持ち合わせていることが望ましい。

アイゼンハワーも若い頃からアメリカ陸軍でキャリアを積んでいる。
ただ、第一次世界大戦への従軍を願い出たが許可されず、自分自身は損耗率の対象とはならなかったようだ。
もし、彼が最前線で死線をくぐり戦った経験を持っていたならノルマンディー上陸作戦はどうなっていたのか、別の興味がわく。

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