コラム

空気を読まない力

昨今、SNSを利用した自国政治への介入だけでなく、他国選挙への世論操作までが横行する中、情報の真偽や今までの約束事に沿った解釈の是非を自分の頭と知識で考える所謂「情報リテラシー」が重要となる。
これは、操作された同調圧力に飲まれない為の模範的な指針だろうが、この論調は毎日どこかで聞いていると思うので、自分の体験から極めて身近なものをもうひとつ加えたい。

それは社会的にはマイナス側に位置付けられる事の多い「空気を読まない人」の価値ではないだろうか。

かつて自動車会社で、競合他社の強みを共有する会議をした時の事。
議長が社長とあって経理、財務、広報、マーケティング、研究開発、製造等それぞれの分野のトップが自領域の解析結果を持ち寄った力の入った報告をした。
知財のトップとして報告した私は最後の総評でひとりだけきつくたしなめられた。
なぜか?他の領域長達の報告が異口同音に悲観的で危機感に溢れたものだったのに対し、私の報告は「特に競合他社に特筆すべきものは無い」と言う物だったからである。
生産技術を中心に、一部の競合他社から押され気味だった最中、だからこそ招集された会議だったので、主目的は会社全体で危機感を共有する為のものだったのかもしれない。
社長の「今の知財部のような見方をしていたらいつGM(世界一の自動車メーカーだが
一度破綻している)のようになってもおかしくないよ」のコメントから、ほぼその目的だったのだろうと、会議後改めて推察した。
そうだったとしたら、その目的にはそぐわなかったのかもしれないが、知財部からの報告は、あくまで彼我の保有特許の解析から新技術の優劣を脚色無しに正確に伝えたと記憶している。
事前に会議の目的や、その会議自体が設定された流れなどを探っておくべきだったかもしれない。
これをしなかった私だけが「空気を読まない」忖度の無い報告をし、それがトップの意にそぐわなかった結果の総評だったのだろうか。
勿論全分野、忖度などは無く客観的な報告をした中で、特許情報だけが悲観性を紡ぎ出していなかった可能性も否定できないが、あまりに自分たちの活動を卑下したような報告の部署ばかりだったのでその可能性は低いように思う。

仮に危機感の醸成と言う予定調和的シナリオを崩し、会議の効果を削いだ事をたしなめられたのであれば、それも理解はするべきだが、反面その時点において「空気を読めなかった私」が伝えた最も正確な情報が同調圧力的な流れの中で一蹴されたのだとしたらどうか。
ここでは悲観論に飲まれた楽観論だったが、楽観論の空気に悲観的情報が黙殺されたため国家や企業の行方を誤った例は枚挙にいとまがないはず。
専門的自信に満ちた者程、時には空気を読まない者の発言や、大いなる素人の挙動を尊重する事も重要なのではないだろうか。

あるビジネス書に面白いエピソードが載っていた。
ハーバードビジネススクールでの実際の出来事として書かれていたと記憶している。
ご承知の通り、米国の大学は座学よりもディベートの授業が重要視されている。
とある授業でビジネスの不具合についてのディベートをしていた。
内容は貿易のパートナー同士のやり取りで、受注側の出荷遅れの責任の所在についての議論である。
受注側に対しての一義的な責任の追及や、受注側から発注側への反転攻勢等、それぞれ受発注の瑕疵や免責条項の有無などを絡めたエリート同士の小難しい内容だったのだろうし、交渉のやり取りがロールプレイ的に激しく行われていたのであろう。
それを聞いていた小学生くらいの少女が「私だったらゴメンナサイって謝ります」とどちら側に向かってか定かではないが口を挟んだ。
キャンパスにも教室にも子供などを比較的同伴しやすい大学事情とは言え、なぜそんな場所に少女が混ざっていたのか、議論の内容をどう理解していたのか、その詳述はなかったのでわからない。
だが、そのタイミングで主任教授が「これこそが正解!」と議論を収め、自己を守り相手に非を被せる為の議論より、時に、少女の無垢な発言のようなリアクションの方が実社会で力を持つ旨教示したとあった。
これなどは、実社会に於いて、エリート同士の(不毛な時間浪費的)非難合戦のような交渉から抜け出すヒントを、空気を読まない少女が提供した例として興味深い。

冒頭に述べた通り「空気を読まない人」は同調圧力や場の雰囲気を一変させる力も持っているが、一般的には疎んじられマイナス側に追いやられるのが常である。
上記の私の場合やハーバードの少女のように言わばイノセントの場合は別として、確信犯的に「空気を読まない発言」をするのは勇気がいるのも確かである。
特に日本では、話の流れや相手の気持ちを無視してまでは「NO」さえも言いにくいのではないだろうか。

Say ‘No’ から始められるヒントになるかもしれない逸話をひとつ紹介して結びたい。
数十年前になるが、友人でもあり恩師でもあった米国の弁護士を日本で接待した時の事。
人気の陶芸教室を頑張って予約して2時間ほど経験して貰った。
大変良いイベントだと自負していた私は、夕食時に聞いた彼の感想にショックを受けた。
‘It was really not my style.’ (あれは全く私の好みではない)と。
大人が全て工芸的なものに興味を持つわけではないが、年配の紳士であり、国際派として社交辞令も十二分に心得ている彼からのあまりにもストレートな言い方は何だったのか。
親しい間柄だったので私も彼にその疑問を率直にぶつけた。
彼の答えは極めてシンプル。
その場を繕う為に自分の気持ちをごまかす方が、よほど失礼に当たると。
‘No’は時に相手をリスペクトするマジックワードだと思ってみてはどうだろうか。
単に「それは違う、そんなのダメ」ではなく「私の考えは少し異なる、こんな考えもないだろうか」と言うような柔らかみを付けて。

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