名人同士の落とし穴 予定調和の功罪
会社の大先輩に合気道の有段者がいた。
休暇を取って海外にまで指導に行く彼は指導者の資格を持つ上段者であった。
ある時、彼から名人の究極の技の話を聞いた。
なんと、触れずして相手を投げ飛ばす技があるらしく、彼本人も投げられた体験を持っていると言う。
詳しく聞いてみると投げ飛ばされると言うよりは転ばされたとの事。
なぜそうなったのか。
名人に向かい立ち合いの態勢をとると、名人の眉間あたりから火の玉が飛んできて、その圧力を避けようと体制を崩し倒れ込んだと言う状況を詳述してくれた。
人をからかう事をしなかった人の話ではあったが俄かには信じられなかった。
学生時代の剣道部の友人から聞いた話にも不思議な名人技が登場した。
段位は定かではないが私の友人もかなりの有段者だったはずだが、ご年配だった師範には全く歯が立たなかった。
しかもその負け方がとてもソフトなものだったらしい。
通常私たちが観る剣道の試合のように目にも止まらぬ速さで打ち込まれる、と言ったものでは無く、師範の竹刀はごくゆっくりと彼の隙のある箇所にポン、ポンと置かれる感じだったようだ。
私は両方の状況に対し、同じ事が全くの素人相手にも起こり得るのか、ある程度の定石を心得た者だからこそ通じる技なのでは無いのだろうか、と言う疑問を抱いていた。
後日、剣道の方は間接的ながら私の叔父が答えを出してくれていた事がわかった。
子供の頃チャンバラ自慢だったその叔父は、成人してだいぶたってからも無手勝流のチャンバラ剣法が通じると思い、本人曰く「町の道場に時代劇さながらの道場破りを試みて惨敗しその日の内に門下生となった」との事だった。
こちらは大笑いしながら、さもありなんで納得した。
ただ失礼ながら触れずして人を倒す合気道の名人技は、今でも素人では通用しないと思っている。
通じるのは、約束事のように(一連の流れる演舞のように)展開が体に染みついている名人同士か、仮に素人でもよほど事前に相手の凄さを刷り込まれた者、つまり、そんな神業がいつ来るのかと怯えている(ある情報の影響下にある)者だけであるはず。
かつて、所属した会社で専務として知財事業の責任者をしていた時、人事部が某有名人を講師として呼んだことがあった。
テレビの番組でゲストの持ち札を当てたりして心理状態を読めるとの触れ込みで人気を博した(メンタリストと持て囃されていた)人だったので呼んだようであった。
私は元々懐疑的だったので、人事部にとある交渉をお願いした。
その当時、私とは別の事業本部に、うるさ型の専務がいたので、テレビでゲストを驚かせているような読心術をまず、私とそのうるさ型専務二人を相手に披露してから講演をして欲しい旨のリクエストである。
予定調和的な事はしなさそうな専務二人の心を見事に読めたなら、講師のその後の話はより説得力を持って全員に浸透するに違いなく、講演の実効性を上げる為にお願いして貰ったものであった。
先方曰く「そのような個別のリクエストにはお応えしかねます。」
ほんの少しだけ期待していたが予想した通りのとてもシンプルな応えだった。
事前実演を断った理由自体は、良く出来たその返事の中に埋没して不明だが、素性の分からない専務二人の心理を読むトリックが通じないリスクを避けたように推察した。
結局私は出席しなかったが講演自体は盛り上がったようだった。
私達は、まわりを常識や約束事あるいは先入観、固定概念と言ったもの(広義の予定調和の空気感)に囲まれて生きている。
礼儀作法などは勿論、芸人達の業界でよくある「お約束の…」と言ったものまで至る所で形や程度を変えて存在している。
普段はこれらに守られながら生きているのが私達である。
守られているには心地の良いものであり、安心や平穏のベースとなっている。
一方これは私達を束縛し、社会の進歩や変化のブレーキとしての側面を持っているのも事実であろう。
意図的に飛び出すには極めて強い呪縛のようなこの空気感とどう向き合えば良いのか。
季節柄、大いなるヒントを与えてくれるおあつらえの世界的イベントがある。
ノーベル賞である。
誇らしい事に、今年のノーベル賞の自然科学3分野の内2分野で日本人が受賞した。
今回受賞の坂口志文先生(生理学・医学賞)、北川進先生(化学賞)お二人とも、大成されたのは常識では信じられていなかった道を進まれた事が主因である旨を異口同音に語られていた。
2018年にノーベル生理学医学賞を受賞され、癌の免疫療法に繋がった研究をされた本庶佑先生は受賞決定後のインタビューで、常々「教科書に書かれている事は真実ではない」と言うスタンスで生きてこられた旨をよりストレートに語られていた。
この先生方の姿勢が大いなるヒントを与えてくれているのは言うまでもない。
ただ、予定調和なる言葉が馴染まない自然科学の分野とは言え、全ての事象に強い因果関係が求められる世界で、それから逸れた仮設を立て、しかも思うような結果がなかなか出ないにも拘わらず自分の道を信じて歩き続けた彼らのようなエネルギーはどうすれば保てるのか。
三日坊主的な形容が似合う私には、その極意などは及びもつかないので、私が大切にしている言葉の中で、その問いに最も親和性の高いものを紹介して結びたい。
「父を疑え、母を疑え、師を疑え、人を疑え、しかし疑う己を疑うな」
かつて私の同僚が見つけてくれたインドの古い諺は固定概念、予定調和の世界から抜け出して行く為の端的な指針を与えてくれてはいないだろうか。

