コラム

2011年のノーベル賞受賞で日本人研究者は「次点」に泣いた

今年のノーベル賞受賞者の発表で、日本人意研究者が「次点」で泣いたような結果に終わり、何とも惜しいことをしたという感じがした。受賞してもよかった日本人研究者が、紙一重で「次点」に泣いたという意味である。

生理学医学賞の受賞者は10月3日、日本時間の午後7時過ぎに発表になった。米スクリプス研究所のブルース・ボイトラー教授(53)、仏ストラスブール大 のジュール・ホフマン教授(70)、米ロックフェラー大のラルフ・スタインマン教授と発表された。受賞理由は、ボイトラー、ホフマン教授が「自然免疫の活 性化に関する発見」、スタインマン教授が「樹状細胞と、獲得免疫におけるその役割の発見」だった。

人間の免疫機構は、外から侵入してきたウイルスや病原細菌などから守るようにできている。外敵を白血球のT細胞が認識し、同じ白血球のB細胞に抗体を作成 させている。抗体とは病原細菌やウイルスを殺してくれる武器である。この抗体、つまり武器を作って病原体を排除しておりこれが獲得免疫の機構とされてきた。

B細胞は、同じ武器をいつでも製造できるように記憶している。T細胞はこの獲得免疫の司令塔の役割をしており、外敵が入り込んだら武器を製造して生体を守るとされてきた。

ところがカナダ生まれの生理学者のラルフ・スタインマンは、樹状細胞という新しい細胞を発見して自然免疫と呼ばれる新しい機構の確立に発展させた。獲得免疫とは違った機構で生体の免疫機構ができているという新しい学説である。

樹状細胞を詳しく研究したボイトラーらは、この細胞が皮膚など全身に存在していることを発見した。そして樹状細胞が細菌やウイルスが侵入してくるとこれをいち早く探知して仲間を呼び集め、細菌・ウイルスを攻撃することを突き止めた。

ボイトラーは、ヒトやマウスの樹状細胞にも同様の遺伝子があり、それをもとに作成されるたんぱく質が病原体を探知するセンサーの役割をしていることも発見 した。さらに獲得免疫機構でも、T細胞に抗体作成の指令を出しているのは、T細胞ではなく樹状細胞であることも発見した。

免疫のメカニズムを解明し、治療や予防方法の基本的な原理を根本的に変革させた画期的な業績であった。ところが騒ぎは発表直後から始まった。

受賞した米ロックフェラー大のラルフ・スタインマン教授がノーベル賞受賞者発表の前の9月30日に68歳で死去していたのである。「ノーベル賞受賞者は生 存者に限られる」というルールは、ノーベル財団の規約にある。つまり亡くなった人にはノーベル賞は出さない決まりになっている。それが発表直前であろうと 10年前の死亡であろうと条件は同じになる。

とするとスタイマン教授は、受賞取り消しとなるのではないか。しかしノーベル財団はそうはしなかった。受賞発表の時点で、生理学医学賞の選考委員会である カロリンスカ研究所ノーベル賞委員会が知らなかったので、生存と同じであるという屁理屈を言って押し通してしまったのである。

これは権威あるノーベル賞の110年の歴史の中でも最大の不祥事であろう。もしも事前に分かっていたら、もちろん受賞者には加えなかった。生存しているか どうかそれだけ重い意味があるのなら、受賞を決定し発表する前の段階で念のために生死を確認するのが当たり前である。その手続きを怠ったのである。これは 単純ミスでは済まされない。

というのは、ノーベル賞は1分野3人までという規約があるので、もしスタイマン教授が死亡と分かっていたら、もう一人受賞する人がいたかもしれないからだ。そうなると業績から見ても大阪大学の審良(あきら)静男教授(58)が最も有力は研究者だったと言われている。

審良教授は、「トル様受容体(TLR)」というメカニズムを、特定の遺伝子の働きを止めたマウスを使った実験で次々に解明した。この研究の論文の引用回数 の合計は、2005年から4年連続で世界のトップ10になっている。うち2回はトップだった。ノーベル賞受賞者にふさわしい実績を残していた。

スタイマン教授の業績は燦然と輝くものであることに変わりはないが、受賞者3人という枠を考えると、もしも・・・という考えになってしまうのである。

一方、化学賞でも「次点」の悲劇があった。受賞者はイスラエル生まれの化学者でイスラエル工科大で特別教授を務めるダン・シュヒトマン教授である。同教授 は、1982年にアルミニウムとマンガンを急冷して合金を作製し、エックス線を使って原子構造を調べる研究に取り組んでいた。

電子顕微鏡で撮影した像を見ると中心から原子が五角形に広がっていた。固体を構成する原子の並びは、三角形、四角形、六角形などの形状ですき間なく結晶を 形成し、原子同士の距離や角度が整然と決まっている。あるいは原子が乱雑に散らばっている非晶質(アモルファス)の状態のどちらかである。

シュヒトマン教授の発見した像は、この2つとは全く別のものであり、当時は何かの間違いではないかと言われていた。しかしその後の研究から、同じような個体が次々と発見され、結晶に準じる構造という意味から「準結晶」と名付けられた。

準結晶は、熱や電気を伝えにくく、ものがくっつきにくい性質がある。フライパンやカミソリの刃などに応用されている。この分野では、東北大学多元物質科学 研究所の蔡安邦教授が大きな貢献をしている。準結晶は数百種類が発見されてきたが、その90パーセントは蔡教授が発見したものである。

とすると蔡教授も受賞してもおかしくなかったのである。なぜ、外れたのか。ここからは推測でしか言えないが、多分、シュヒトマン教授の発見後の貢献では、 甲乙つけがたいと選考委員会は結論付けたのではないか。しかしそれにしても、最初の発見者とその後の貢献度の最大の研究者を組み合わせて授与するというこ とがあってもよかったように思う。

そのような例は、これまでもよくあったからだ。蔡教授は間違いなく、次点に泣いたと言えるだろう。

以上

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