コラム

日本人受賞者なしに涙をのんだ今年のノーベル賞 その2
日本人科学者にも夢ではない2回受賞の快挙

前回、今年のノーベル化学賞は「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」で
米スクリプス研究所のバリー・シャープレス博士(81)ら3人が授与されたことを書いた。
この中でシャープレス博士は2度目のノーベル賞受賞として話題になった。
そこで今回は、2度受賞した過去の受賞者と、
日本人受賞者の中でも2度受賞してもおかしくない受賞者がいることを書いてみたい。

ノーベル賞を2度受賞した科学者

受賞リストにあるように2度受賞者は、今年のシャープレスを含めて5人いる。
1度の受賞でも至難のワザとされるノーベル賞を2度受賞は考えられない快挙である。

キューリー夫妻がノーベル賞
この中で特に有名なのはマリ・キューリーである。
夫も化学研究者であるためキューリー夫人 (Madame Curie) とも呼ばれている。
彼女はポーランド生まれポーランド育ちであり、思春期に恋に破れ、逃れるようにしてフランスに留学した。
フランスで苦学しながら物理学を猛勉強して博士学位を取得した。
そのころ出会ったフランス人のピエール・キューリーに見染められて結婚し、二人は放射能研究に没頭する。

1898年7月、キューリー夫妻は連名でポロニウムと名づけた新元素発見に関する論文を発表した。
さらに12月26日には、激しい放射線を発するラジウムと命名した新元素の存在について発表した。
夫妻は1903年、アンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞した。

ピエールはその受賞業績を認められて翌年の1904年にパリ大学の物理学教授に迎えられたが、
そのころから重いリウマチの激痛に悩まされながら、必死にこらえて研究に没頭する。
1906年4月19日、パリの大通りで馬車にひかれる事故に巻き込まれて即死した。

キューリー夫人はその不幸にも負けずに再び研究に没頭し、
1911年には「ラジウムおよびボロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の発見」の業績で
2度目のノーベル賞を授与される。2度目は化学賞だった。
彼女が研究活動したころ、女性科学者の地位は低く、様々な場面で差別を受けた。
またポーランドからフランスに来た「外国人」としての差別受けながら、負けず嫌いの性格ではねのけ、
女性科学者として前人未踏のノーベル賞2度受賞の輝く歴史を残した。

長年の放射能研究のため被ばくした影響で再生不良性貧血にかかり、それが悪化して死去したが、
彼女は最後まで放射能の影響を否定していたという。
キューリー夫人の学問探求の姿勢と実績は尊敬を集めており、伝記本は今なお世界中で読まれている。

一家でノーベル賞5度受賞の快挙
ピエールとマリの間に生まれたイレーヌは、パリ大学でポロニウムのアルファ線に関する研究で学位を取得。
1926年、母マリの助手だったフレデリック・ジョリオと結婚した。

夫妻は1934年に世界で初めてリンの放射性同位元素を人工的に合成し、1935年に「人工放射性元素の研究」で、
フレデリック・ジョリオ=キューリーとイレーヌ・ジョリオ=キューリー夫妻がノーベル化学賞を受賞した。
親子二代に渡るキューリー家は、のべ5回ノーベル賞の栄誉に輝いている。この記録は当面破られそうにない。

物理学賞を2度受賞したバーディーン
ジョン・バーディーンは早くから数学の才能を発揮し、
ウィスコンシン大学の電気工学科を卒業して石油会社に勤務するが、
博士号取得を目指しプリンストン大学、ハーバード大学で数学と物理を学んだ。
1938年からミネソタ大学の助教授になったが、第二次世界大戦が始まり海軍兵器研究所に4年勤めた。

戦後の1945年10月からベル研究所に入り、
1948年にウィリアム・ショックレー、ウォルター・ブラッテンらとトランジスターの開発に成功し
1956年その功績で1回目のノーベル物理学賞を受賞した。
その後1972年には、レオン・クーパー、ジョン・ロバート・シュリーファーと
超伝導に関するBCS理論の開発で2度目のノーベル物理学賞を受賞した。

1973年に「半導体におけるトンネル効果と超電導体の実験的発見」でノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈は、
後年「自分がノーベル物理学賞を受賞したのは、バーディーンの強い推薦があったからだ」と筆者に語ったことがある。
過去の受賞者からの推薦は非常に大きな影響力があり、
江崎の業績の価値を分かっていたバーディーンらしいエピソードである。
その江崎は、いま2度目のノーベル賞の有力候補になっている。

アミノ酸配列決定と塩基配列決定法でノーベル賞
イギリスのフレデリック・サンガーは、遺伝子のDNA構造の解読にかかわる基本的な理論の解明で
2度のノーベル化学賞に輝いた。
人体は20種類のアミノ酸のいずれかが、交互に入れ替わり立ちかわり長くつながってタンパク質を形成している。
サンガーは、タンパク質のアミノ酸配列を決定する方法を確立し、
この手法でインスリンの一次構造の確定に成功した。
これはタンパク質がアミノ酸の連結したものであることを確定させたものでもあり、
この業績で1958年ノーベル化学賞を受賞した。
続いてサンガーは、20種類のアミノ酸を特定する塩基配列について、
4種類の塩基が手をつないだ梯子段のような構造でつながっている配列を決定する方法を開発した。
のちにこれは「サンガー法」とも呼ばれるようになり、1980年に2度目のノーベル化学賞を受賞した。

多方面の科学に貢献した天才ポーリング
20世紀の科学界で多方面の分野に貢献したライナス・ポーリングは、
無機化学、有機化学、金属学、免疫学、麻酔学、心理学、弁論術などに
多大な影響と与えた科学者として知られている。
量子力学を化学に応用した先駆者であり、
化学結合の本性を解明した業績で1954年にノーベル化学賞を受賞した。

さらに放射能崩壊のもたらす影響が重大であるとして、
強く核実験の反対を進めた科学者としても知られるようになり、
その提唱と行動に対し、1962年にノーベル平和賞を受賞した。
後年、ポーリングは、大量のビタミンCを摂取する健康法を提唱し、
来日してそのキャンペーンをしたこともある。
分子矯正医学を提唱してその概念や研究について広く訴えた異色の科学者だった。

異なる研究テーマで2度目を受賞したシャープレス
2022年のノーベル化学賞を受賞したバリー・シャープレスは、
2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」の業績で、日本の野依良治らと化学賞を受賞している。
有機化合物の中には、同じ組成でも鏡に映した2つの関係にある化合物がある。
人間の右手、左手と同じようなものだ。
有機化合物では人間の右手と左手のように対称的な化合物(キラル分子、光学異性体)がある。
生物は酵素などを使って有用なキラルだけを作っているが、人工合成では両者が半分ずつできてしまう。
半分は有用だが半分は毒性があることもある。
そこで野依、シャープレスらは、有用なものだけ合成できる不斉触媒を開発し、
有用物質だけを量産する技術の確立に貢献した。

今回の業績は、「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」というもので、
目的の有機化合物を作る際に無駄が少なく、実験操作が手軽な化学反応を進め、
これまでより簡単に医薬品や材料が開発されるようになったものだ。

シャープレス(写真右端)ら3人の受賞者を発表するノーベル財団ウェブサイト

日本人受賞者の中にも2度受賞の候補がいる
2度受賞の候補として最初にあがったのは江崎玲於奈である。
1973年に「半導体におけるトンネル効果と超電導体の実験的発見」で物理学賞を受賞した。
それから10年ほど経ってから江崎が提唱した「半導体超格子」とよばれる
全く新しい概念の人工結晶を発案・創出した業績が高く評価され、江崎の論文引用が飛躍的に高まった。

江崎はこのとき「ノーベル賞を受賞した科学者たちから、
レオ(江崎の愛称)は、またノーベル賞をもらえると言われた」と語っていた。
それを裏付けるように1998年に日本国際賞を受賞した。
この賞はノーベル賞にも匹敵する栄誉であり、
この業績は2回目のノーベル賞受賞があってもおかしくないと言われている。

2015年に熱帯病の特効薬、イベルメクチンの開発でノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智は、
化合物の発見や創製、構造解析について新しい方法を提唱して実現した化学者として高く評価されている。
生命現象の解明に多大な寄与をしている
プロテインキナーゼの特異的阻害剤スタウロスポリン、プロテアソーム阻害剤ラクタシスチン、
脂肪酸生合成阻害剤セルレニンなどを発見した業績は、ノーベル賞急と評価されている。
大村が発見した特異な構造と生物活性を有する多くの化合物は、
創薬研究のリード化合物としても注目されており、ノーベル化学賞をもう一度受賞する可能性がある。

さらに1987年に「抗体生成の遺伝的原理の解明」で単独でノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進も
脳研究でもう一度、ノーベル賞を狙っていると言われている。
記憶の機序などの基礎研究で画期的な業績が出せれば2度受賞は夢ではなく、
研究エネルギーは全く衰えずにますます広がっているようだ。

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