コラム

3Dプリンターに見る技術革新と特許(5)

技術評価で思い出した特許出願

光造形装置を世界で初めて発明した小玉秀男氏は、87年の春に帰国して名古屋市の特許事務所に勤務する。それから間もない9月であった。ある商社が小玉氏 の勤務先の特許事務所に来て、アメリカに非常に面白い技術があるが、それを使用する場合、最初に支払うイニシャル・ロイヤリティが1億円だと言う。特許に なるのかどうか、その先行技術調査をしてほしいと依頼してきた。

技術の内容を聞いてみると「なにやら液体の中からにょきにょきと竹の子みたいに物体が生えてくる」と言う。小玉氏は話を聞くうちに、どこかで聞いたような話だと思った。小玉氏は思いついて急いで自宅に戻り、しまっている書類を引っかき回してみた。

ない。探しても探してもない。確か、光造形の論文にまとめる前に、そのアイデアは特許として出願している。あの出願書類はどこへ行ったのだろうか。

小玉氏が特許を出願してからすでに7年が過ぎている。その間、弁理士試験に合格し、アメリカに修業にも行っている。記憶の中からすっぽりと欠落していたと しても、仕方なかっただろう。商社から預かってきた技術内容を書いた書類を見ると、自分の考えた光造形のアイデアによく似ている。

よくよく考えてみると、弁理士試験に合格したとき、これからは弁理士になるんだ、研究者としての未練を断ち切るんだと思って、名古屋市工業研究所時代の書類はあらかた廃棄処分にしていることを思い出した。

小玉氏はすぐさま事務所へとって返した。出願人検索に自分の名前を入れて検索してみた。間もなく小玉氏は、自分の出願事実を確認した。そのときのことを「ああ、妄想ではなかったんだ、ちゃんと出願してあったんだと思った」と述懐している。

しかし小玉氏の特許出願は、審査請求期限の7年を過ぎていた。出願したのが1980年4月、確認したのが1987年9月だから5ヶ月すぎていたのである。 審査請求期限を過ぎたことで、小玉氏が出願した特許は完全に幻に終る。現在の審査請求期間は3年だが、その当時は7年だった。

小玉氏はうっかりしていて審査請求しなかったため、取得できなかった。おそらく審査請求をしていれば、特許として認められ、光造形装置が実用化されればそ の特許のロイヤリティとして、数十億円という莫大なお金が小玉氏のところに入っただろう。最近になって、小玉氏は当時のことを振り返り次のようにコメント している。

「私の失敗は3つあります。第1は、審査請求をしなかったこと。第2は、関連技術・派生技術を特許出願しなかった こと。第3の失敗は、外国出願しなかったこと。最後のが一番重要かもしれません。友人からは、外国から日本へお金を持ってこれたのに、それをしなかったこ とは国賊ものだといわれます」

アメリカの光造形装置の特許は無効か 光造形装置は、アメリカのスリーディー・システムズ・インコーポレーテッド(3D)社が特許を取得して実用化し、世 界各国でこの装置の販売を始めた。3D社は、日本特許庁からも特許を取得した。しかしこの特許をめぐって、無効審判が出ており日米間の特許戦争になった。

3D社が、最初の特許を分割出願したり、複数の人が特許無効審判を出すなど小玉氏の出願技術の存在もあってこの特許をめぐって紛争があった。しかし最終的には、関係企業と3D社が和解して決着した。和解の内容は公表されていない。

もう1つ取り損ねた有力特許

小玉秀男氏は、出願した積層モデルだけではなく、さまざまな方法で積層するアイデアを考えノートにも書いていた。その一例が粉末金属を固めて立体形を作る装置である。

まず粉末の金属をふるいでふるって落とし、粉末金属の層を作る。そこでレーザー光を当てて熱で焼結させる。また粉末層を作ってレーザー光を当てて焼結させる。これを繰り返せば、設計どおりの立体形ができあがる。

あるいは、積層した後で固める方法も考えられる。たとえば断面の内側に、熱をかけると固まるような樹脂を詰めていく。それと同時に断面の外側には熱をかけ ると溶けてくれるようなワックスの粉を詰めていく。これをどんどん積層していく。最後に炉に入れて加熱すると熱で硬化した樹脂が立体形として残ってくれ る。

こうしたアイデアは、光造形装置の原理を思い立った後に小玉氏の頭の中で明滅していた。だから研究ノートにも書いてあったのだ。しかし、特許出願まではし なかった。同じアイデアはアメリカのテキサス大学の研究者が特許を取得し、ベンチャー企業を立ち上げてこの分野ではトップランナーになったという。

小玉氏は今でも「なんでこの論文を書いておかなかったか、という思いを強く持っている」と語る。そして自身の体験から「ただし、独創的アイデアに恵まれた 研究者は、そのアイデアを論文にするだけでは研究者の責務を果たしたことにはならない。その価値を分からせるところまでしなければならない」と言う。

独創的であればあるほど、真の価値が理解されにくい。だから「論文を書いただけで勝手に理解しろというのでは無責任だ」とも語った。

小玉氏のオリジナリティが認められたランク賞

小玉氏秀男が、イギリスの民間財団・ランク賞基金の光学電子部門の受賞者に選ばれたのは1995年5月である。ランク賞は、故ランク卿の寄付金をもとに1974年に創設されたもので、栄養学と光電子工学の二つの分野の貢献者に授与される。

小玉氏の受賞対象になったのは、前回、このシリーズでも紹介した1981年11月号のアメリカの物理学会誌に掲載された論文であった。

この賞では、同時に3D社の社長であるチャールズ・ハル氏も受賞している。つまり同時受賞である。ハル氏の業績はもちろん、光造形装置で特許を取得し実用化した功績が認められたものだ。

小玉氏は、この装置の原理原則を発明した功績、ハル氏はこれを実用化して世に広げた功績で受賞したのだ。欧米人が原理原則を発明し、その原理を応用して日本人が実用化で貢献するというのがこれまでのパターンだったが、この業績ではまったく逆になった。

授賞式は、1995年5月25日、ロンドン市内の王立医学協会で行われた。賞金のシェアは、小玉氏が1万5000ポンド、ハル氏が1万ポンドであった。小玉氏対ハル氏は、3対2で賞金を分け合ったことになる。

これはきわめて重要な賞金シェアである。受賞者を決定したランク財団の選考委員会は、光造形装置発明の貢献は、ハル氏より小玉氏にありと認めたことになる。ノーベル賞の場合も、1分野3人まで受賞者を認めているが、賞金額のシェアは選考委員会がその都度決めている。

複数の場合、2、3人で均等にシェアする場合と、1人に2分の1、残りを2人で4分の1ずつ分け合うこともある。賞金シェアによって、受賞者の貢献度が分かる仕組みになっている。

ランク財団は、これにならって3対2という賞金シェアにしたのだろう。これで、小玉氏のオリジナリティは、国際的にも証明されたことになる。ハル氏は受賞 後に「小玉氏に賞金が多く配分されてよかった」と語っていたことが伝わっている。これが本当なら、ハル氏もまた小玉氏のオリジナリティを認めていることに なる。

小玉氏は受賞後のインタビューで、日本人の独創性について「決して国際的に劣っていない」としたうえで次のように語っている。

「独創的な試みをする人は、成功したときの夢を持っている。ところが、その夢を人に話せない。独創的であるほど空想的であり、誇大妄想と受け取られかねな いからです。失敗するとホラ吹きと言われてしまう。照れもあるし。だから周囲も理解しにくい。背後にかくれている夢を見抜いて激励してくれる人が1人でも いることが大事だ」

小玉氏は、受賞後に研究者として戻らないかという誘いがあったようだが、彼はそれを断り、他人の発明を特許取得して権利化する弁理士業で活躍している。

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