コラム

3Dプリンターに見る技術革新と特許(2)

3Dプリンターが世に出てきたころ

この物語は1989年までさかのぼる。4半世紀前の技術革新であるが、舞台は自動車のメッカとされていたデトロイトである。アメリカのモノ作りが最後の栄華を極めていたころだ。アメリカの自動車産業とモノ作りの産業は、その後、凋落の一途を辿ることになる。

1989年11月、デトロイト市で開催されていた「オート・ファクト・ショー」の会場だった。デトロイトは当時、アメリカ自動車産業の約80%が集中している、自動車製造の中心都市であった。

そのころ、クライスラー社の全ての車のドアロックの設計を担当していた三井金属デトロイト支店の設計技術者、山田眞次郎氏は、そのショーを見学して 歩いていた。ドアロックとは、車のドアのロックの部分である。ドアを閉めると「バチン」という快い響きとともにドアがピタッと閉まる。

ドアロックの部分は特許やノウハウのかたまりである。クライスラーは、そのドアロックの設計を公開公募した。世界中から応募された設計の中から、当 時、三井金属の設計士だった山田氏が応募して見事に採用されたのであった。そのときから山田氏は、デトロイトと日本を頻繁に往復していた。

自動車ショーの見学をしていた山田氏は、あるコーナーで釘付けになった。50センチ四方ほどの平面上を間断なく不規則に軌跡を描いている光が見える。線香花火のように発散する光にも見えるがそれとも違う。一瞬のうちに複雑な形状に分かれて消える。

その当時、光造形装置と呼んでいたが、これは山田氏が初めて見た3Dプリンターだったのだ。3D(スリーディー)とは、「three dimensions」の略語であり「3次元」を意味する。3Dプリンターとは、3次元の立体プリンターのことである。

山田氏が展示しているアメリカの3D社の担当者に聞くと、三次元CADで設計した立体形のデータをプラスチックの立体系としてアウトプットする装置だという。

コンピュータのアウトプット装置と言えば、紙に印刷するプリンターしか知らない。山田氏はその立体系をアウトプットする装置を見ているうち、その本質の重要性に気が付いた。これは試作品を作るときの重要な道具として使える。

その当時、日本のモノ作りは世界の頂点に立っていた。1989年は、日本にとってどのような時代だったのか。

その年の1月7日 、昭和天皇が崩御し、戦後の時代に一つの終止符を打った。経営の神様と言われた松下電器産業(現在のパナソニック社)創業者の松下幸之助が死去し、シャー プが液晶ビジョン「XV-100Z」を発売した年でもある。東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,915円87銭を記録した。これを最後に 1990年の大発会から株価は下落へ転じ、バブル景気は崩壊へと向かうのである。

写真は1989年に任天堂から売り出された『シャドウゲイト』

それを支えたのは、東京・鎌田地区や大阪・東大阪の金型工場に集積していた名もなき熟練職員たちの神業にも近い金型職人技術だった。それが試作品を支え、量産する場合の大きな戦力になっていた。山田氏は、その仕組みをよく知っていた。

山田氏はそのときのことを次のように語っている。

「最初、何も分からないから、いちべつして行ってしまいそうになった。あれっ、なんだろうと思って見ていると、だんだんこの装置の本質が分かってきた。これは驚くべき装置である。すべてを理解したとき、とっさに日本が危ないと、そう思いました」

立体形でアウトプットするという思考の転換

光造形装置(3Dプリンター)とは、感光性樹脂にレーザー光を当てて樹脂(プラスチック)を積層し、3次元のプラスチックの立体形を作る装置であ る。平面図のような二次元の書類をアウトプットするのがプリンターだが、この装置は、コンピューターで3次元設計された情報をもとに、その設計した立体形 をアウトプットする装置である。

ゼロックスに代表されるコピー機は、二次元の平面上に複写するだけだが、光造形装置は、コンピューター内部のデジタル情報をもとに、プラスチックで立体的なモノを作ってくれる一種の「プリンター」なのである。

プリンターは二次元である。パソコンで手紙の文章を作り、次にプリンターで印刷する。立体プリンターは、3次元だ。コンピューターで立体的な設計を作り、これを3次元の物体としてアウトプットする。

たとえば、図のような徳利をCADで設計し、そのデータを光造形装置に送ると、プラスチックの徳利を作ってくれる。二次元のアウトプットはあっとい う間に印刷するが、3次元となるとやはりそれなりに時間がかかる。それにしてもコンピューターのディスプレイの中で浮かんでいる3次元立体像の徳利が、数 時間かかるのと言っても立体形で出てくるとは驚きである。

複写は平面1枚で終わりだが、「立体プリンター」の場合、コーヒーカップの底の部分から上端の部分まで、何千回もコピーを繰り返して積み上げていく と思えばいい。最後は立体的な物体になるだろう。オリジナル情報が、コンピューターで作成した3次元CADからくる設計データになる。

もう少し専門的に言えば、たとえば0・1ミリの厚さでプラスチックを積層しながら立体形を作っていくとするなら、高さ10センチの物体は1000回 のプリントが必要になる。0・1ミリという線画を可能にするのは、レーザー光を当てると瞬時に固まるプラスチックを使用するからだ。

筆者が、1993年にこの装置を見たとき、思わず「立体プリンター」と呼んだ。回りくどく言えば「3次元の物体を作ってくれるプリンター」である。

ゼロックスに代表されるコピー機は、二次元の平面上に複写するだけだが、光造形装置は、コンピューター内部のデジタル情報をもとに、プラスチックで立体的なモノを作ってくれる一種の「プリンター」なのである。

山田眞次郎氏が直感的に「日本が危ない」と思った意味は、「製造業の工程が一変する」と思ったからだ。入社以来17年間、設計士としてモノ作りに携わってきた自身の経験が、恐ろしい速さで変革を予知したのだ。

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