コラム

3Dプリンターに見る技術革新と特許(1)

3Dプリンターのコンテストを見る

先日、中央線中野駅に隣接するブロードウエイ地下にある「3Dプリンターのコンテスト」を見学に行った。地下の商店が並ぶ一角に「あッ3Dプリンター屋だッ!! 東京メイカー×ストーンスープ」(毛利宣裕店長)があり、そこで行ったコンテストである(写真)。

その現場で山田眞次郎さんに久しぶりに会った。読売新聞論説委員をしていた筆者は、1996年に山田さんと初めて会った。そのころ山 田さんは、日本に新しいモノ作りを広げる伝道師と自らを任じ、「ザビエル山田」と称していた。日本に初めてキリスト教を伝えた伝道師、フランシスコ・ザビ エルにあやかってつけた通称名である。

山田さんは、アメリカの自動車業界でのモノ作りの様変わりを見て、従来のモノ作りの現 場は一変し、日本の製造現場も激変しなければならないと確信したのである。そのことに気が付いていない日本の製造業に、この技術革新を伝えなければならな い。そう思った山田さんは三井金属を辞めて、IT化による新しい製造現場に切り替える伝道師になろうと決意したのである。

企画・設計・試作・金型・大量生産というモノ作りの基本的流れを、CAD・CAM・CAE・金型CAD・大量生産という流れに変えなければ日本の製造業は、遅れると確信した。

そ の当時、3Dプリンターという言葉はなかった。そのころは光造形装置とかラピッド・プロトタイピング(RP)というカタカナで呼んでいた。筆者が著書「大 丈夫か日本のもの作り」(プレジデント社)では、「立体プリンター」と呼んだ。今にして思えば、いい名称をつけたと思う。

山田さんと出会ったとき、「ザビエル山田」と聞いて筆者は嬉しくなった。このようなユーモア・センスのある技術者は珍しく、そのセンスにかける筆者の感性が瞬間的に芽生えたからである。

「あッ3Dプリンター屋だッ!! 東京メイカー×ストーンスープ」の前で山田さん(左)と毛利店長。

ところで、中野ブロードウエイにある「あッ3Dプリンター屋だッ!! 東京メイカー×ストーンスープ」とは何か。毛利店長らに聞いてみると、「3Dプリンターを開放し、プロのエンジニアが集まって、お客さま参加型サービスを始めました」という。

3D データを持ってきた人は、ここで3Dプリンターを使ってプリントアウトしてみる。3Dデータを作れない人は、プロがお望みの形の3DCADで作成してプリ ントアウトしてくれるという。実際に3Dプリンターでアウトプットした作品もいくつか展示してある。こんなものまでアウトプットできるんだとびっくりし た。

さらにこれから3Dプリンターを買おうと考えている人や、すでに持っているがうまく使えない人にも、使い方のノウハウを 教えるという。そしてこの日は、日米台湾の4社が販売している3Dプリンターに実際にアウトプットをさせ、どのメーカーのマシンがいいかコンテストのデモ をしていたのである。

この日のデモで動いていた3Dプリンターの価格は、60万円から6万9800円まで4段階あった。携帯 電話にはめ込むプラスチックのカバーをアウトプットさせていたが、出来上がったものを評価すると、なんと6万9800円で販売している台湾メーカーの 「ダ・ビンチ」が70分で仕上げ、性能もパスした。この日のコンテストで優勝したのである。

販売価格が高ければいいというものではないことを示し、いままさに戦国時代を迎えた3Dプリンター販売とその活用・応用の幕開けをこのコーナーで示そうとしているように感じた。

今回このコラムでは、「3Dプリンターに見る技術革新と特許」というタイトルで、数回にわたって技術革新と特許に焦点を当てて書いてみたい。

従来、コンピューターで作成した各種のデータや設計は、すべて二次元の世界、つまり印刷物として紙にプリントする以外できなかった。たとえば立体的にコップの絵をコンピューター・ディスプレイの中で描いても、アウトプットとしては紙に印刷するだけであった。

と ころが技術の進歩によって CAD(Computer Aided Design)というコンピュータを使用して設計や製図ができるソフトが生まれ、製図や図面作成がデジタル情報として保存できる時代を迎えた。三次元で設 計したデータはそのまま、コンピューター内部に立体的なデジタル情報として保存できるのである。

それならばその三次元デジタル情報を、そのまま三次元立体物としてアウトプットできないだろうかと考えた人がいる。それこそ世界で初めて考え、そしてそれを実現した人である。

そ れは小玉秀男さんという日本人であった。1978年、名古屋市工業研究所の研究員だった小玉さんは、その3次元アウトプット装置を自ら作り上げ、実際に自 宅の新築用に設計したデジタル三次元情報をアウトプットして、自宅の模型をコンピューターのアウトプットとして出してしまったのである。

これこそ世界で最初の光造形装置の成果であり3Dプリンターの原型の世界初の実現であった。

小玉さんはそのアイデアをすぐに特許明細書としてまとめ、特許庁に特許出願した。しかし実際に特許権利を取得したのはアメリカ人だった。なぜそのような事態になったのか。次回以降で詳しく報告する。

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