石橋さんの発明
地下足袋・・・最近はあまり見掛けませんが、今でも植木職人さんや鳶職さんが履いています。
実は、私も地下足袋愛用者の一人です。農作業や、植木の選定などでは地下足袋を履いて作業すると軽いし、滑りにくく重宝しています。長靴などに比べるとコハゼ(小鉤)という金属製の爪を太めの掛け糸に嵌めるため、履いたり脱いだりするのが面倒なのですが、足にフィットして脱げにくく作業はしやすいのです。止め方は普通の足袋でも同じですが、最近は着物を着るとき時以外は足袋を履く機会は少ないでしょう。
ず~と昔の地下足袋は底が布でできていました。これは藁草履に比べれば当然長持ちしますが、雨の日には濡れて水分が浸透して来るし、滑る恐れもありました。
そこで色々考えたのが、九州は久留米で地下足袋の小さな工場(日本足袋)を営んでいた石橋正二郎さんと徳次郎さんの兄弟でした。今までは足袋にゴム底を縫い付けていたのですが、ゴムの加工法を研究して、地下足袋の底にゴム液を塗り、ゴム底にして、周りからも水が入らないような工夫をしたのです、底だけでなく足袋の周辺までゴムをつけて水を通しにくくした訳です。
石橋兄弟は1924年に実用新案登録第80594号、第80595号「地下足袋」を取りました。そして早速売り出したところ、大変な評判で、結局10年間で2億足も売れたそうです。東京や大阪の大手地下足袋メーカも真似をしようとしたが、ガッチリ権利化してあり、とうとう手も足も出なかったとのことです。
その後、日本足袋の久留米にあった工場が火災にあい生産停止に追い込まれました。それに乗じて粗悪品が10数社から出回ったのですが、実用新案権で訴え粗悪品の排除に成功したのです。さらには希望する会社には権利の許諾をして製造許可を行ったと言います。実施許諾は品質保証にも役立てたのではないでしょうか。
石橋さんは、商売でもユニークな取り組みをしたそうで、当時日本では数百台しかなかった自動車を購入し、足袋の宣伝の旗をつけて走り回り評判を呼びました。
また当時の地下足袋は、サイズにより価格が違っていたそうですが、すべてのサイズで20銭均一の価格戦略を取り入れ、流通の単純化、合理化を図ったのです。
この石橋さんは、その後ゴム加工技術の改良を重ね、自動車のタイヤつくりにも進出しました。現在世界最大のタイヤメーカ「ブリヂストンタイヤ」を創業しました。当時の日本にもこうしたベンチャービジネスがいっぱいあったのです。
ところで、世界に冠たる「ブリヂストン」は何処か欧米の会社だと思っていた人はいませんか。この石橋さん世界にも通用する商標ということで「ブリヂストン」と名前をつけたのですが、これが正に発想の転換「石橋」を逆にし「橋・石」これを文字通り英語で表し「ブリッジ・ストーン」としたそうです。
今回は石橋さんの製品だけでなく、販売、宣伝とユニークな工夫をご紹介しました。