コラム

産学連携で北里研究所に250億円を導入した大村智博士 ―(下)

 

ノーベル賞受賞の有力候補となる

産学連携活動で250億円以上の学術研究費を製薬企業などから北里研究所に導入した大村智博士は、かなり前からノーベル賞受賞者の候補とし て下馬評に上がっている。大村博士の業績を見ると、生理学医学賞、化学賞、平和賞という3つの分野で受賞する可能性がある。その根拠をあげれば次のように なる。

生理学医学賞は、動物薬として開発したイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見され、アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で蔓延しているオ ンコセルカ症(河川盲目症)という盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発揮されているからである。年間、2億人もの人を病魔から救う医薬品 の開発は、ノーベル賞に値するものである。

平和賞については、この業績から来るものである。イベルメクチンの薬剤は、メルク社が開発したものだが、いまメルク社はWHOを通じて蔓延地に無償 で配布している。これは、大村博士らがイベルメクチンの商用利用で得られる特許ロイヤリティの取得を放棄して無償で配布することに賛同したために実現した ものだ。人道的な立場からも人類の福祉に寄与した科学者として平和賞を授与されても決して不思議ではない。
過去にはシュバイツァー博士やマザー・テレサが平和賞を授与されているが、人類福祉への貢献である。

化学賞が大村博士の業績から見てもっとも可能性があるノーベル賞であり、今年も受賞されるのではないかと期待していたが朗報がなかった。この数年のうちに実現してほしいと思う。
今回はこの化学分野について大村博士の業績を検証してみる。

大村博士は、微生物が産生する有機化学物質を役立てる研究で突出した業績をあげている。薬物だけではなく、化学や医学の研究現場で使用する多くの酵素、薬剤を開発して医学、化学の研究の進展に多大な貢献をしているのである。

一般にはなじみが薄いがこの欄では代表的なスタウロスポリン、ラクタシスチン、セルレニンという3つの物質について紹介したい。
この3つの物質はいずれも、世界で初めて大村博士が土中の微生物が産生している有機化学物質の中から発見したもので、いずれも生命現象の解明に広く使われている化学物質である。
またこうした化学物質は、100を超える化合物が有機合成化学のターゲットとなり、関連領域の発展にも貢献しているのである。

 

スタウロスポリンの発見と業績

スタウロスポリンとは、1977年11月、ストレプトマイセス属の放線菌から発見したもので最初の発見のときはあまり注目されていなかった。ところ が発見してから9年後の1986年、協和醗酵の研究グループが、「スタウロスポリンは、プロテインキナーゼCの阻害剤である」と発表したのである。

プロテインキナーゼとはタンパク質分子にリン酸基を付加する酵素である。その中でもカルシウムに依存したプロテインキナーゼをプロテインキナーゼC と呼んでいる。元神戸大学学長をした西塚泰美博士が発見した酵素であり、西塚博士はこの発見の業績でノーベル生理学医学賞の受賞は確実とまで予想されてい た。しかし西塚博士はその栄誉に浴することなく2004年11月4日、72歳で死去する。

細胞は様々な機能を維持するため、細胞内のタンパク質をリン酸化したり脱リン酸化する反応を繰り返している。このリン酸化によってタンパク質は酵素 を活性化させたり、他のタンパク質との会合状態を変化させている。細胞内のたんぱく質のうち30%はキナーゼの影響を受けて変化し、細胞内での様々なシグ ナル伝達や代謝の調節因子として機能している。キナーゼ遺伝子はヒトゲノム中に約500種類あり真核生物の全遺伝子の約2%を占めていると報告されている。

このように重要な働きをしているプロテインキナーゼCの働きを阻害することが分かると、研究は思わぬ方向へと発展していく。いろいろな誘導体も作ら れて抗癌剤として臨床実験に使われているものもでてきた。大村研究室でもこの活性の特徴は何かと調べてみると、色々な種類の蛋白質をリン酸化する酵素の阻 害剤であることが分かった。研究現場では細胞内の化学的な反応を調べるときの試薬として使われるようになる。
例えば神経が作用する細胞が分裂したり分化したり、あるいは細胞が動いたり機能をする場合にはそこには必ず信号が入ってくる。シグナル伝達と呼んでいるが、この研究にスタウロスポリンがよく使われるようになる。

大村研究室で、1993年に発表された論文でスタウロスポリンが論文のタイトルについているものがどのくらいあるのか調べてみたことがある。すると 1年間で、624報にスタウロスポリンという名前が入っていた。一般的に研究成果を論文として発表した場合、その論文内容がどのくらい国際的に評価されて いるかを客観的に見る指標は、他の論文にどのくらい引用されているかその頻度を見ることにある。大村博士の研究分野で言えば、発見した化合物がどのくらい 有用であるのかを客観的に計るのは、その化合物がどのくらい論文に出てくるか、あるいは研究に使われているかを統計的に見ることで分かる。

1991年から2000年までに、大村研究室で発見された化合物を使って研究し、論文で発表されたものがいくつあるか調べてみると、セルレニンは10年間で214報の論文、スタウロスポリンの場合は1年間で500報の論文が発表されていた。
世界中で一番売れている薬がスタウロスポリンだと言われたこともあった。大村研究室は特許を持っていたので、スタウロスポリンが使われるようになるとロイヤリティ収入が増え、研究費もその分潤沢になっていった。

ラクタシスチンの発見と業績

ラクタシスチンは、1991年に大磯で開催したシンポジウムで、大村博士がまだ論文として発表していなかったラクタシスチンという微生物由来の化学 物質の発見を発表した。ラクタシスチンはその後の研究で、プロテアソームというたんぱく質の分解を行う巨大な酵素複合体を特異的に阻害する物質であること が分かり、今ではさまざまな研究現場で利用されている。

大村博士はこの化学物質のスクリーニングでは、マウスの神経芽細胞のがん化したものを使って行なったが、特殊な動物細胞を使って生理活性物質を見つ けたケースとしては初めてであった。ラクタシスチンが発見される前までは蛋白質というのは適当にプロテアソームで壊れていくと思われていた。どのように調 節されるか解っていなかったが、ラクタシスチンが発見されて初めて解った。蛋白質を分解しようとする時は、ユビキチンというアミノ酸76個からなる蛋白質 があるが、これがあらかじめくっつく。くっつくとこれ全体をプロテアソームが認識して分解していくということが解った。これによってプロテアソームの研究 が飛躍的に進んだ。

大磯のシンポジウムで大村博士の発表を聞いたハーバード大学のコーリー教授は、帰国後「ラクタシスチンの構造はこれで正しいか」と連絡してきた。大 村博士は、まだ論文として発表していなかったが正しい構造式を教えてやった。コーリー教授は練達の技法を使ってすぐに合成をしてしまった。コーリー教授は 大村博士に敬意を払って、ラクタシスチンの活性本体を「オオムラライド」と名付けた。

セレルニンの発見と業績

セレルニンは、大村博士が北里研究所に入所して間もないころに発見したものである。大村博士は、セルレニンの研究をやろうとアメリカのウェスレーヤ ン大学に客員教授として留学する。そのとき単離したセルレニンの試料を日本から持参していた。化学構造や有用性についてはまだ未解明な部分が多く、研究し たいことはいくらでもあった。

セルレニンは、真菌の中の不完全菌類に属する菌が産生する抗真菌性の化学物質である。大村博士はセレルニンが脂肪酸の生合成を阻害するということま では実験で突き止めていたので、それを発展させてこの物質がどのようなメカニズムで作用するのかを明らかにしてみたいと思っていた。結果的にそのセルレニ ンの研究から素晴らしい研究人脈が広がっていく。

ウェスレーヤン大学に招聘された年の1971年の秋である。ティシュラー教授の紹介で知り合ったファイザー社のW・セルマー博士という小児の呼吸器 感染症や肺炎に効力があるオレアンドマイシンという抗生物質を発見した研究者から電話が来た。ハーバード大学教授のコンラッド・ブロック博士が自分の研究 室に来るので紹介したいので、こちらまで来ないかという誘いである。

大村博士は驚いた。ブロック博士は脂肪酸の研究領域の業績を認められて1964年にノーベル生理学医学賞を受賞した権威であり大村博士から見れば雲 の上の研究者である。その人を紹介するという。セルマー博士が大村博士をブロック教授に紹介したいと思ったのは、ブロック教授が脂肪酸領域の研究の第一人 者であり、大村博士も同じテーマで研究しているのでこの研究者を会わせてやろうという好意から出たものであった。

ファイザー研究所のセルマー博士の部屋で大村博士が出会ったブロック教授は、温和な非常に落ち着いた雰囲気を持っている紳士だった。ブロック教授と 形通りの挨拶をし、お互いに研究領域の話題を話し合った。相手はノーベル賞受賞者であるから、いま相手が手がけている研究内容を聞くというようなものでは ない。

大村博士は英会話にまだ慣れていなかったが、普通に接していれば不自由なく会話もできる。科学者として共通の領域の研究をしている場合は、専門用語を使って会話ができるので言語の壁はほとんどなくなる。

大村博士はごく自然に北里研究所で手がけたセルレニンの研究を思い出しながら、いま取りかかっている研究内容を話した。そしてセルレニンの構造を決 定した後、再度抗菌スペクトルを見直したところセルレニンはきわめて広い抗菌および抗真菌スペクトルを持っていることが分かった。この構造がコレステロー ルの生合成中間体と似ていることから脂質の生合成を阻害しているのではないかと見当をつけ、構造を決めるために使った残りのサンプルを同僚の野村節三博士 に渡し共同研究を開始した。

研究の結果は、セルレニンは脂肪酸の生合成の特異的な阻害剤であることが判明した。当時、蛋白質、核酸、細胞壁などの生合成を阻害するものは多く知られていたが、脂肪酸の生合成を阻害するのは、このセルレニンが初めてであった。大村博士は、ブロック教授にこう言った。
「私たちの研究では、セルレニンは脂肪酸の生合成を阻害するという実験結果が出ています。それがどのようなメカニズムで作用するのか、ウェスレーヤン大学で詳しい研究を始めています」

ブロック教授は身を乗り出さんばかりに興味を示して聞いている。ブロック教授は脂肪酸の生合成の機構と調節に関する研究でノーベル賞を受賞した研究 者である。多分、大村博士が語った知見は、ブロック教授にとってはまだ知られていない事実だった可能性が高い。ブロック教授はいくつか専門的な質問をして きたが、大村博士はセレルニンのことはよく分かっていたので無難に応対していた。ブロック教授が言った。
「ドクターオオムラ、セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害することが真実なら大変なことになる。我々の研究室でも是非、これを確かめたいのでサンプルをもらえないか」

ゆっくりとしてはいるがしっかりした口調で言った。ブロック教授のその言い方に大村博士は、ことの重大性を感じた。大村博士は日本から持参していた200ミリグラムほどのサンプルを準備して持っていた。その中から10ミリグラムほど小分けしたものをブロック教授に渡した。
それから2、3ヶ月経ったころである。大村博士がいつものように研究室で実験をしていると、ティシュラー教授の秘書が大村博士を呼んでいる。ブロック教授から電話がかかっているというのだ。急いで駆け付けて電話に出てみると、ブロック教授は覇気のある口調でこう話した。
「ドクターオオムラ、セルレニンは確かに脂肪酸の生合成を阻害している。我々の研究室でもはっきりわかった。目下いくつかの脂肪酸の生合成系で確かめているが、大変興味ある物質だ。もう少しサンプルを必要とするので提供してもらえないか。これから共同研究を進めよう」
セレルニンはその後の研究で、脂肪酸の生合成を阻害する唯一の化学物質であることが分かってくる。脂肪酸生合成に関連しているいくつかの酵素も阻害する ので脂質代謝の研究には欠かせない物質になるのである。大村博士はその後、ハーバード大学のブロック教授の研究室を訪ねセレルニンの共同研究をするように なる。ブロック教授は、海外の研究室で意欲的に仕事に取り組んでいる大村と自身の研究歴と重ね合わせながら、好意的に見るようになっていた。

ブロック教授の研究室を訪問すると彼はいつも歓迎してくれた。研究内容について討論したり研究情報を交換するようになる。ほどなくしてブロック教授が研究室の一角にある机の前に大村博士を連れて行きこう言った。
「君のデスクを用意した。ハーバードに来たときには、このデスクをいつでも使ってほしい」
この申し出に大村博士はいたく感激した。一流の研究者はかくも違うものなのか。セルレニンが脂肪酸の生合成を阻害しているという知見を初めて示してくれ た研究者仲間を大切にしようとする気持ちがあふれている。ウェスレーヤン大学に席を置きながらハーバード大学のブロック研究室の一角にも机をもらう栄誉に 浴し、大村は研究者の国際交流について非常に貴重な体験をしたと思った。

世界の栄誉を次々と授与される

これらの業績に対して、大村博士は世界中の栄誉を総ざらいしている。列挙すれば次のようになる。
米国微生物学会ヘキスト・ルセル賞、日本薬学会賞、上原賞、日本学士院賞、藤原賞、紫綬褒章、タイ国プリンス・マヒドン賞、独国ローベルト・コッホゴー ルドメダル、米国化学会一日本化学会ナカニシ・プライズ、米国化学会アーネスト4ガンサー賞、国際化学療法学会ハマオ・ウメザワ記念賞、テトラヘドロン・ プライズ、国際微生物連合協会アリマ賞および仏国レジオン・ド・ヌール勲章など内外の多数の栄誉が贈られている。
また、英国王立化学会、米国生化学・分子生物学会などの名誉会員、日本学士院をはじめ、米、独、仏、ロシア、ベルギー、および中国など多くの権威ある内外の科学アカデミーの会員に選出されている。
まさにもらっていないのはノーベル賞だけである。来年以降に期待を持ち越したい。

今でも研究現場に足を運び、人材育成に熱心に取り組んでいる。(北里研究所で)

世界の化学界で最も権威ある賞の一つである「テトラヘドロン・プライズ」の賞金額を示すボードを見せる大村博士。まるでゴルフの賞金額を示すボードのようである。

「nature biotechnol」誌は、2003年にエバーメクチンを産生している微生物の「ストレプトミセス・アベルメクチニウス」の写真を掲載し、エバーメクチンの全塩基配列の論文を掲載した。(大村博士提供)

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