日本人受賞者なしに涙をのんだ今年のノーベル賞
日本人科学者にも夢ではない2回受賞の快挙
予想が裏切られた自然科学分野の受賞
ノーベル賞を研究している筆者は、毎年、10月のノーベル賞発表が近づくと、その年の受賞候補者のリスト作りに追われる。
今年も生理学・医学賞12人、物理学賞15人、化学賞22人の日本人候補者をリストアップして発表を待ち構えていた。
今年は日本人受賞者があるという予感がしていたのだが、ふたを開けてみれば日本人ゼロ。
化学賞ではアメリカのバリー・シャープレスが2度目の受賞と言う快挙で自然科学分野発表の幕を閉じた。
意外だったネアンデルタール人の遺伝子分析で医学賞
世界中の科学者が「裏切られた」のは、生理学・医学賞のドイツのスバンテ・ペーボの受賞だった。
受賞理由はネアンデルタール人の遺伝子と現代人の遺伝子分析から
人類の進化の研究に大きな貢献をした業績であり単独受賞となった。
約4万年前に絶滅したというネアンデルタール人の遺伝子を、発掘された骸骨の中から取り出し塩基配列を解読した。
遺伝子を解析する技術を手に入れた現代の科学には驚くばかりだ。
人類の研究に遺伝子解析が持ち込まれてきたので、
もしかしたら何か画期的な発展があるかなとも思っていたが、このような形でノーベル賞とはびっくりした。
ノーベル生理学・医学賞を発表するノーベル財団
(2022年10月4日のNHKテレビニュースより)
医学から人類学に発展した例がある
南米のインディオ族に日本人の顔立ちとそっくりの民族がいる。
成人T細胞白血病(ATL)というウイルス病の抗体保有を研究していた病理学者らは、
今から40年ほど前に偶然、インディオは日本人と同じ抗体を保持していることを発見した。
他の民族にはない成果であった。
例えば中国、韓国など日本と近隣にある諸国の人たちは、この抗体を持っていない。
それなのになぜ、遠く離れた南米の民族が持っているのか。おまけに顔立ちがそっくりである。
まだ研究の緒についたばかりだが、
いつの日か遺伝子分析から日本人と地球のほぼ反対側にいる南米インディオとの関係が分かるだろうか。
この研究は、最初、医学の研究者から始まったが、途中から人類学の研究者に引き継がれていった。
もし日本人を起源とする人類が南米大陸にいるとすれば、太古の時代にどうやって「飛び火」したのか。
当時の人類学者らの推測はロマンをかきたてたものだった。
日本列島にいた人類が、約260万年前に出現した地球規模の氷河期時代、
陸続きになった北海道の東から連なる千島列島からさらにアリューシャン列島を経て北米大陸に渡り、
やがて南米大陸へと南下していったのではないかと語っていた。
ネアンデルタール人の遺伝子が今の人類に残っているとすれば、ある種の病気に強い体質になるかもしれない。
新型コロナウイルス感染症がはやりだしたとき、
ネアンデルタール人と血筋がつながっている人種は、コロナにかかりにくいとの学説も発表された。
その中に日本人も入っていた時には驚いた。
そのような未知の科学に光を当てる科学研究がまた広がっていくことを予感させる受賞となった。
物理学賞は量子力学の基礎理論の研究者3人
量子力学は、物質の根源である原子、電子などの成り立ちを解析する学問だが、
今年の物理学賞は、フランスのパリ・サクレー大学のアラン・アスペ教授、
アメリカのクラウザー研究所のジョン・クラウザー博士、
オーストリアのウィーン大学のアントン・ツァイリンガー教授の3人に授与された。
物質を構成する原子や電子のふるまいの中に「量子もつれ」という特殊な現象が起きることが分かっていたが、
3人の受賞者はこのもつれについて理論と実験を通して示し、
量子情報科学という新しい分野を開拓したとして評価された。
原子や電子などの量子の運動は「量子力学」に支配されている。
2つの量子がお互いに離れていても片方の量子の状態が変わると、
もう片方の状態も瞬時に変化することを「量子もつれ」と言われる。
受賞者らはこの「量子のもつれ」の現象が実際に起きることを実験で示し、世界をあっと言わせた。
このような現象があることにはアインシュタインら世界の著名な物理学者は疑問視していたが、
それを覆す成果となった。
量子コンピューターや量子通信などの研究の発展に寄与する理論と実験結果であり、
この分野の飛躍的進展につながるものとして評価された。
物理学賞と化学賞を審査する王立スエーデンアカデミーの建物(上)と、
歴代のアカデミー会員の肖像画に囲まれた内部の様子(いずれも1980年ころ、筆者が撮影)
化学賞では2度目受賞の快挙が出現
日本人受賞者で、最も期待がかかったのは化学賞だった。
この分野は日本人研究者の多くが世界のトップグループを走っているからだ。
発表を知って期待は裏切られたが、2度受賞という快挙があった。
受賞したのは、米スタンフォード大のキャロライン・ベルトッツィ、
デンマーク・コペンハーゲン大のモーテン・メルダル、米スクリプス研究所のバリー・シャープレスである。
受賞理由は、「クリックケミストリーと生体直交化学の開発」という業績である。
シャープレスは、2001年に野依良治らとともに「キラル触媒による不斉反応の研究」で化学賞を受賞した。
人工不斉合成を可能とした画期的触媒の開発であり、創薬研究などに大きな貢献をした。
シャープレスは、今回2度目の受賞者となった。
前回の受賞業績とは全く違った研究テーマでの業績である。
ノーベル賞を一人で2度受賞した人は、これまで4人おり、シャープレスは5人目となった。
炭素原子は互いに強く結びついているため、炭素原子がつながった複雑な有機分子をつくるのは、きわめて難しかった。
シャープレスはこれを効率よくできれば様々な応用ができることに眼をつけ、
小さな有機分子を「部品」にすれば、反応が単純になって効率化することに眼をつけた。
シャープレスは分子を確実に結びつけるやり方を「クリックケミストリー」と名付けて、
様々な化学反応に利用すれば効率よく反応が進むと提唱した。
その反応を実際に見つけたのがメルダルで、
窒素原子からなる「アジド」を端に持つ分子と、二つの炭素からなる「アルキン」を持つ分子を、
銅を触媒にすれば効率よくくっつけられることを発見した。
さらにベルトッツィは、銅は生体に有害なので、銅を使わないでできる方法を発見して医療の応用への道を開いた。
ノーベル化学賞選考委員会の王立スエーデン化学アカデミーが発表した
2022年ノーベル科学賞の3人
2度受賞のチャンスは日本人受賞者にもいる
ノーベル賞は受賞するだけでも大変だが、それを2回受賞した人が過去に4人おり、シャープレスは5人目となった。
しかし筆者は、日本人受賞者の中で2度受賞の可能性を持っている受賞者が3人おり、密かに期待していた。
過去に2度受賞した4人の科学者と日本人受賞者で2度受賞の可能性を秘めている3人については、
次のコラムで書いてみたい。