新異議申立
2015年4月から新しい異議申立制度がスタートしました。
この制度については、2003年からあった特許権付与後異議制度の復活だとする人もいますが、時代の流れで様々な要素が含まれての新制度と捉える方が良いのかも知れません。
異議申立制度は、大正10年法という表現をされる1921年の制度改正で登場したものです。それ以前は1888年に特許になったモノについての権利を無効にする無効審判制度が導入されるまでは、登録された特許を潰す制度はなかったのです。
1888 年以前は無効の要素が強い特許であっても、権利を取り消すことができないため、裁判で決着をつけるにあたって、出願の前より存在する発明を包含する特許請 求の範囲がある場合には裁判所は、へ理屈に近い理屈をつけていました。文言上は含まれていても公知の発明を除外するような解釈をするために、図面に記載さ れた内容に権利を狭く解釈して判決を行うこともあったのです。
そうしたことを防ぐため権利無効審判制度が1888年に作られ、さらには特許の権利を付与する前に公衆の意見を仰ぐことを目的に、登録前に特許公告公報を発行し、その公報発行日から3ケ月間の異議申立を受付ける制度が1921年に作られたのです。
と ころがこの権利付与前異議申立は、異議申立人と出願人の間で、答弁書,弁駁書といった書類のやり取りが何回も行き来し、決着が付くまで延々と意見が戦わさ れました。権利になるまでの時間がかかり過ぎるとの、国際的な指摘(主にアメリカ)が出され、一先ずは権利を与え、権利を付与した後に6ケ月間は異議申立 を受ける付与後異議申立制度に変えたのが1994年です。
しかし、権利化された特許を無効にする仕組み制度が、異議申立と無効審判と二つも あるのは複雑であり、当事者間で一度に解決してしまった方が良いとの理由で、無効審判制度に一本化したのが2003年でした。当事者の負担軽減の観点から も良いということで導入した制度でした。付与後異議制度を導入していた当時は年間3~4千件の異議申立がありました。しかし無効審判制度に統一して一回で 解決をするとの意図が全くみられず、無効審判が起こされる数は年間に2百数十件で、付与後異議制度の時代と大差ない状況が続いてしまっていたのです。権利 を無効にできる制度を一回にしたら、これほど異議申立の代わりにはならない実態は予想できないことでした。
異議申立は、書面でのやり取りで済んだが、無効審判では口頭審理が原則であり、当事者の手続きの負担が大きくなるとの理由が挙げられています。
そこで、書面審理主体で、異議申立人と特許庁、さらには無効理由がある場合には権利者と特許庁との書面による手続きをする新たな異議申立制度が導入されたのです。
新制度の元では、当事者に限られる無効審判と異なり、第三者が異議を唱えることができます。これからの異議申立書の記載方法には、取消理由通知書にそのまま使えるような論理展開と、記載表現が重要になるとの指摘をする弁理士さんもおります。