コラム

政策提言集団として活動する21世紀構想研究会 創設時から現在までの活動を振り返って(その2)

その1で紹介した企業は、最後の床暖房部材販売会社を除いては、多くの特許を取得して知財戦略を前面に出して経営をしていたものだがうまくいかなかった。ベンチャー企業の成功物語は、ことほど左様に困難であることを、身を持って体験した。

今回は、株式市場に上場を果たしながら事実上倒産した会員企業の顛末を紹介したい。いずれも特許取得では圧倒的な戦略と受け止められていたベンチャー企業だが、企業経営とは特許だけでは立ち行かないことを示した実例であった。

株式会社YOZANの創業者の高取直氏と出会ったのは、21世紀構想研究会の創設直前の1997年の夏ごろである。当時の通産省の官僚に将来、有望 なベンチャー企業を紹介してもらいたいと申し入れ、推薦してきた企業の中にこの会社があった。当時は「株式会社鷹山」であった。江戸時代中期の出羽国米沢 藩(山形県米沢市)の第9代藩主・上杉鷹山から取った社名と説明された。

2005年7月13日、東京ビッグサイトで開催された「WIRELESS JAPAN 2005」で基調講演する高取直氏。

 

鷹山は疲弊した藩の財政を立て直した江戸時代屈指の名君として知られており、その業績にあやかって命名したものだった。高取氏とは何度も会って意見交換したり、経営方針の話を聴いたが、簡潔に説明する話術と頭脳明晰を感じさせる会話にはいつも感心させられた。

株式会社YOZANは、当初、第3世代携帯電話(W-CDMA)用の集積回路の設計・開発を行い、多くの特許取得と共に次世代携帯電話の半導体開発のベンチャー企業として国際的にも脚光を浴びており、2000年9月1日に株式をJASDAQに上場した。

株式の公開価格は400万円だったが、初値は1600万円となり、同年9月26日に1株を3株に分割した。株価の上昇はその後も続き、同年10月4日には分割後の高値である803万円まで上昇した。

このころの株式市場では鷹山フィーバーであり、日本のベンチャー企業の雄と言わるほどもてはやされていた。経営者の高取氏は、度々海外にわたって市 場動向を調査しているうち、この第3世代携帯の半導体開発では需要が伸びない可能性が強いとみて電気通信事業者へ業態転換を行った。その決断力には感心し た。

まず2001年、2002年に東京通信ネットワーク社などからポケベル事業を譲り受け、入手したインフラを利用してIPネットワーク事業に乗り出す ことを考えた。その後もIP電話サービスに乗り出すなど必死に新規市場開拓を行うもうまくいかず、2008年9月12日 に上場廃止となり市場から撤退し た。その後は再起をかけて高取氏は活動を続けており、再び経営者として復帰することを祈っている。

もう一つのシコー株式会社は、創業者の白木学氏が「天国と地獄を見た経営者」として歴史に残るベンチャー企業となるだろう。白木氏は、東京理科大学を卒業後、モーターの開発を手がけ、PCの内部に入るほどの世界一サイズの小さな1円玉程度のファンモーターを開発した。

これがインテルの眼に止まり、インテルのPCに搭載されたのがきっかけで国際的に知られるようになる。白木氏はさらに鉛筆の芯より一回り太いくらいの振動モーターを発明し、これが当時の携帯電話に搭載されるようになり、携帯マナーモードが世界中に一気に広がった。

それまでの携帯電話は、音を鳴らして着信を知らせたものだが、白木氏の振動モーターの発明で音ではなく振動で知らせるモードに切り替わり、これが世界の標準となった。「マナーモードを世界に広げた男」である。

2000年代に入ってから、白木氏は中国の上海に工場を設立し、中国人の女性を数千人雇用して手作りの振動モーターを製造していた。その工場に筆者も数回、見学に行ったが、行くたびに工場の規模は大きくなり、一時は1万人ほどの中国人を雇用していた。

携帯電話にカメラが搭載されるようになってから、そのカメラの自動焦点操作のためのモーター、オートフォーカスモーターの製造にも乗り出した。これ は振動モーターに比べて製造工程が進化したものになるため、クリーンルームを装備し、コスト削減から部品の内製化にも着手していった。

販売先もアップル社の100パーセント独占を実現し、ノキアなどにも納品するなどこの世界では圧倒的なシェアを誇っていた。2004年には、東京証券取引所マザーズ市場に上場し、2008年7月1日 には、それまでのシコー技研株式会社をシコー株式会社に社名変更した。

順調に社業を延ばしているように見えたが、アップル社が1社購買を避けるためにシコー以外の日本企業2社を育て、シコーからの供給を減らし始めた。 そのころから極端な円高が進行し、さらに追い打ちをかけるように中国の人件費が高騰し、中国での社会保険料の企業負担も増額されるなど、シコーの財務内容 がみるみる悪化していった。

また金融派生商品(デリバティブ)の差金決済が毎月数千万円発生し、財務を圧迫して経営は極度に困窮していった。2012年8月に東京地裁に対し民事再生法の適用を申請して受理されたが、負債総額は86億円だった。

そのとき、日本の大手企業ミネビア社がシコー株式会社の再建のスポンサーになることで名乗りをあげていたが、その後ミネビア社が突如降りると宣言し てシコーの民事再生はできないとの観測も流れた。このままでは破産宣告になる可能性も取りざたされるようになり、進退窮まった状況に追い込まれた。

そこに救世主のように現れたのが中国人実業家の閻忠良氏である。閻忠良氏は、電気部品などの製造企業のオーナーであり、いわゆる中国人のお金持ちである。4億円弱のキャッシュを出してシコー株式会社を買収した。

現在、シコー株式会社は新しく設立された新シコー科技株式会社に吸収され、多数の特許、その技術と共に中国に買収されていった。白木氏が精魂込めて 開発した技術が中国に流れていったものだが、なぜミネビア社が救済できなかったのか。同社の経営方針によってそれができなかったのだろうが、返す返すも残 念だった。

この2つのケースは、21世紀構想研究会の会員の中でも特筆されるベンチャー企業であり、いずれも有力な特許技術を持っているとして非常に期待され た企業であった。また経営者の高取直氏と白木学氏は非常に魅力ある経営者であり、余人に真似ができないアイデアと行動力を持っていた。

国際ビジネス現場の厳しい競争と技術開発で次々と進化するIT(情報科学)産業の中で生き残るのは至難の業であることを示した実例だった。

写真は、民事再生適用申請の直前、独自の技術で車を動かす試作品を披露している白木学氏。この苦境を乗り越え、白木氏は、新たな挑戦に意欲を燃やしている。

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