宗像直子特許庁長官にインタビュー どうする急進変革時代の知財行政(上)
宗像直子・特許庁長官は、2017年7月の就任直後から知財の国際的な取組を精力的に検証しながら国内の知財制度の見直しや改革にも積極的に取り組んできた。特許庁はこの通常国会に特許法等の改正案を提出している。
世界的に急進展開する第4次産業革命に対応するため、知財行政は重大な岐路に立たされている。アジアでは中国、韓国の知財制度改革が急速に進んでおりベトナム、インドと日本の知財連携も新たな展開を見せている。
特許庁が掲げる「お客様の視点で考える」知財制度の取組の具体的な内容と今後の施策の展望について宗像長官にお聞きした。3回にわたって報告する。
「侵害し得」の解消を期待する改正
馬場 さる3月1日に特許法改正案が閣議決定され、日本でも新たな知財制度の進展が期待されています。特に特許訴訟制度について近年、大きな改正がなく、このままでは日本の知財は停滞するのではないかという危惧がありました。
そこで長官に特許法改正案について、その概要をご紹介していただければと思います。
宗像長官 特許法改正の柱は2点あります。第1は中立な技術専門家が現地調査を行う制度(査証)の創設、第2は損害賠償額算定方法の見直しです。こちらは実用新案法、意匠法、商標法でも同じ趣旨の改正を実施します。
改正の背景についてちょっとお話したいと思います。知財の中でも技術革新の推進役になる特許は重要です。中国、韓国などは急速に特許審査や特許訴訟制度を強化しています。これまで日本では、弁理士や企業の知財担当の方などから「侵害し得」という有り難くない言い方もされていましたが、権利保護が弱い国とみなされると日本の特許制度は空洞化してしまいます。そのような国際的な動向を見ながら改正の検討を進めてきました。
さて、第1の査証は、特許権侵害の可能性がある場合、技術専門家が被疑侵害者の工場等に立ち入り、特許権侵害の立証に必要な調査を行い、裁判所に報告書を提出する制度です。
特許は公開が原則ですから、技術力があれば他人が真似るのは容易です。一方で侵害の立証は難しいという現実があります。たとえば工場内で用いられる製造方法について特許権侵害を立証するには、被疑侵害者の協力が不可欠です。しかし、日本では被疑侵害者の協力を得る仕組みが主要国に比べて弱いのではないかという指摘が出ていました。
第2の損害賠償額算定方法の見直しでは、侵害者が得た利益のうち、特許権者の生産能力等を超えるとして賠償が認められなかった部分について、侵害者にライセンスしたとみなして損害賠償を請求できるようにしています。また、ライセンス料相当額による損害賠償額の算定において、裁判で有効性と侵害が認定された場合は、
それらが確認される前に通常の交渉で決められる額よりも高く算定できることを明確化しています。
馬場 第1、第2とも、大分前から指摘されてきた日本のいわば知財制度の遅れを改善する画期的な転回点になると思います。まだまだ十分ではないと私が思うのは、日本では悪質な侵害については、アメリカのような懲罰的損害賠償が認められない点にあると思います。中国、韓国ではすでに懲罰的賠償制度を実施していますが、日本ではまだそこまではできないのでしょうか。
宗像長官 確かに中国では特許権保護の強化に取り組み、習近平国家主席が2018年11月5日の第1回中国国際輸入博覧会の講演で、懲罰的賠償制度を導入して違法コストを大幅に引き上げると発言しました。こうした方針の一環と思いますが、いま準備中の中国専利法の改正では、5倍まで賠償金を引き上げると聞いています。これが実施されると世界初になります。
韓国では下請法等の限定的な分野で3倍賠償制度を導入しており、昨年12月に韓国国会を通過した特許法改正では分野を限定しない3倍賠償制度を導入しました。また自身の具体的な行為態様を示さずに侵害を否定する者への立証責任の転換を可能にしています。
馬場 まさに中韓とも日本の先を行くように見えます。日本では日本知的財産協会が2017年5月2日に「懲罰的損害賠償制度の導入に強く反対する」という機関声明まで出しています
(http://www.jipa.or.jp/jyohou_hasin/teigen_iken/17/170502_jipa.pdf)。
先に開かれた「知財紛争処理システムの見直し」の論議でも、懲罰的損害賠償制度は結局、見送られました。
これでは外国から見ると日本は知財の権利をきちんと守ってくれない国に見えないでしょうか。
宗像長官 日本では最初に認容される賠償額、つまり1倍賠償の部分が小さいと3倍、5倍にしてもあまり効果がないという見方があります。まず、最初に裁判所が認容する1倍賠償の額を適切に算定できるようにすることから紛争処理見直しの論議が展開されました。
外国の高額な損害賠償額と比較するというだけでなく、日本の制度をしっかりと機能させることが大事ではないかと思います。
馬場 知財訴訟の現状のあり方については、先に行われた産業構造審議会の特許制度小委員会でもかなり論議されていました。またそこで出された知財訴訟の現状などの資料を見ると、日本にはかなり課題があることが分かりました。
宗像長官 改正案はその委員会での議論を踏まえて検討されてきました。現行の知財紛争処理システムに対するユーザーの意見や諸外国における権利の実効性を高める工夫など、多角的な意見や論議を踏まえて改正案の作成に取り組みました。
馬場 ありがとうございました。長官が今述べられた詳細な検討内容については、国会の審議を見ながら私たちも勉強し、改正法が成立したらこの欄でも報告していきたいと思います。
中小企業の特許料は大幅軽減へ
馬場 日本の中小企業は重要な経済活動を担っていますが、特許出願件数は非常に少ない。図のように日本の中小企業は全体の55%の産業付加価値を有しながら、特許出願件数ではたったの15%でしかありません。
これでは日本の知財産業構造はいびつと言われても仕方ない状況です。こうした点も踏まえて改正するということでしょうか。
宗像長官 これまでの特許料等の軽減措置の主な対象は、①赤字企業、②研究開発型中小企業、③中小ベンチャー企業という3つの類型になっています。根拠法も特許法だけでなく、産業技術力強化法、産業競争力強化法に分かれています。
これでは分かりにくいし使い勝手が悪いという指摘が出ていましたので、中小企業一律半減制度を今年4月から導入することにしました。
馬場 中小企業の特許料等の一律半減というのは画期的ですね。
宗像長官 全ての中小企業を対象に、証明書類提出の省略など簡素化された手続きで、国内出願料金、国際出願料金とも半減する制度です。これによって、中小企業の出願を促し、特許権利取得とビジネスの拡大につながればと考えています。
中小企業と大企業とが共同研究をすると、中小企業が開発した技術の特許権が大企業にとられるという事例が少なからずあり、さらに大企業が中小企業の技術を使って海外で生産し、日本へ逆輸入することもあると聞いています。中小企業が直接海外へ出ていく時代ですから、自ら特許権、商標権を取得してそれらを活用してもらうよう我々も支援したいと思っています。
このため、中小企業支援センターにおける外国出願補助金の運用を改善しています。補助金業務の支援を強化するもので、センターの人件費の半額補助を新設しました。会議費、通信費などの運営管理費の補助は、これまで半額だったものを全額としました。
こうした助成制度は、公募回数の増加や公募期間の延長につながり、結果として採択件数の増加に貢献すると思います。
馬場 この制度が実施されれば、中小企業の特許出願が増えることは間違いありませんね。また国際出願も増えるでしょう。特許出願件数は、アメリカ、中国ともに年々増加する中で、日本は減少から横ばいに推移してきましたが、これから増加することが期待されます。
また、弁理士業など知財に関わる人たちの仕事も増えて知財活動が活性化することが期待されますね。
宗像長官 そうなってくれることを期待しています。平成30年に弁理士法を改正し、弁理士の業務に「標準化」や「データ利活用」などの関連業務を追加したことは、まさにこの流れを後押しするものです。
弁理士が、発明の保護だけでなく、標準化やデータの利活用等、現代の社会の動きに対応した知財保護を包括的に支援できるようにしました。
デジタル情報時代に対応した意匠法改正案
馬場 それではもう一つの大きなテーマである意匠法の改正についてお伺いします。改正の狙いと中身はどのようなものでしょうか。
宗像長官 今般の特許法等の改正は、「デジタル革命に対応して、知的財産権保護の強化」を図るもので、意匠法改正案もその一環です。例えば、これまで保護対象になっていなかった、物品に記録・表示されていない画像や、建築物の外観・内装のデザインが、新たに意匠法の保護対象と考えられています。
これが法制化されれば、企業が独創的なデザインのビルを建設した際に、その外観や内装が保護され、独占的に使用できるようになります。
企業のブランドイメージを定着させることがよりスムーズになるわけです。
馬場 なるほど、現行の意匠法では、物品などの動産を保護していますが建築物などの不動産は保護対象にはなっていませんでした。意匠の理念を一段アップしたように思います。
宗像長官 そうです。それから、「登録日から20年」となっている意匠権の存続期間を、「出願日から25年」に変更することも盛り込んでいます。さらに複数の意匠の一括出願を認めることや、物品の名称を柔軟に記載できるようにするために物品の区分を廃止することが含まれています。模倣品対策としては、間接侵害規定の拡充を盛り込みました。
馬場 今回の改正は意匠制度の根幹にかかわる大改正と受け止められており、意匠権の保護の拡充は知財立国への大きな進展と理解しました。
次回は、長官が国際的な知財動向を見て感じたことなどを中心に語っていただきたいと思います。
荒井寿光元特許庁長官の来訪
この日のインタビューのとき、東京商工会議所知財委員会の委員長を務めている元特許庁長官の荒井寿光さんが、今年4月から導入される中小企業の特許料等の一律半減など多くの改正にお礼を言うため宗像長官を表敬訪問していた。その現場に居合わせたので写真撮影の許しを得て撮影した。
時代の要請を受けて知財改革を強力に推進する宗像長官を荒井元長官は高く評価していた。
写真・21世紀構想研究会事務局 福沢史可
(つづく)