コラム

宗像直子特許庁長官にインタビュー どうする急進変革時代の知財行政(下)

特許行政はお客様の視点で考え対応
馬場 宗像長官は長官就任後からすぐに行動を起こし、世界各国を歴訪して急速に改革が進む国際的な知財現場を的確に把握し、国内の法制度の整備をしてきました。今回は、これから取り組む日本の知財戦略について長官の意気込みを語ってもらいたいと思います。
まず、私が目を引いたのは特許庁が「お客様の視点で考える」というスローガンを掲げたことです。これは長官主導で展開していると聞きましたのでそのことから話をしていただければと思います。

宗像長官 新しい技術やビジネスモデルを持つプレイヤーが市場の景色を一変させつつあり、このままでは、日本はこの変化に取り残されてしまうのではないか、今までの成功体験に縛られてはいけないのではないかという危機感がありました。その問題意識を持ち始めていた矢先に「デザイン経営」に巡り合いました。
顧客の視点で考えることを徹底してビジネスを見直すという概念ですが、特許庁でも「ユーザーの視点で自分たちの仕事を見直そう」と考えて早速取り組み始めました。

馬場 長官は素晴らしい経営感覚をお持ちです。ユーザーの視点を基盤にして侵害立証の補強という課題を提起し、知財紛争処理システムのあり方まで広げていった長官の考え方を是非、聞かせてください。

宗像長官 デジタル化によって模倣が簡単になりました。ソフトウェアやIoTの技術を、本当に特許で守れるのかという危惧も感じていました。オープンイノベーションが進んでくると、中小企業やスタートアップの虎の子の特許が侵害されるのではないか。侵害されても泣き寝入りせずに権利を正当に守れるのかという課題が浮かんできました。
そこで、製造方法やソフトウェアなど、侵害されたことがなかなか立証できない特許については、証拠収集手続を補強することでその課題を解決できないかと考えました。さらに損害賠償額を適正化できないかということについても、審議会で検討を始めました。すべて特許庁のユーザーの立場に立ったものでした。

馬場 長官の発想の展開を聞いて感動しました。まさに時代にマッチした長官の方針であり対応だと思います。意匠法改正の中身も知って、この発想の延長線上にあることが分かりました。
また、特許庁自身がデザイン経営を行うために立ち上げた「デザイン経営プロジェクト」について、参加者を庁内から公募し、多くのミーティング、合宿、さらにメンタリング(mentoring、人の育成、指導方法のひとつ)を繰り返しながら、その活動を成熟させたと聞いています。
このように末端の仕事を支援することで知財活性化へとつなげる発想は、これまでなかったことであり感心しました。こうした末端の業務の改善だけでなく、標準必須特許のライセンス交渉に関するノウハウを示唆する国際的に通用するレベルの高い課題にも取り組み、これをまとめ上げました。これもすごいと思います。

「標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き」
日本語版:
https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/document/seps-tebiki/guide-seps-ja.pdf
英語版:
https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/document/seps-tebiki/guide-seps-en.pdf

宗像長官 「標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き」(以下、「手引き」と表記)の目的は、世界の主要な判例等を踏まえ、どう行動すれば「誠実に交渉している」と認められ、実施者は差止めを回避し、特許権者は適切な対価を得られやすいかを客観的に整理することでした。「手引き」ですから法的拘束力はありません。
具体的には、ライセンス交渉の進め方について誠実性や効率性の観点から分析するとともに、ロイヤルティの算定方法について、合理的な算定基礎や料率、非差別的なロイヤルティの考え方などを整理しました。パブリックコメントを世界中に求めたところ、日本語のコメントは32件、英語のコメントは31件とほぼ同数のコメントいただきました。

馬場 これも前例がない特許庁の活動と思います。「手引き」の内外からの評価は非常に高かったことをWebでの公表でも知りました。「手引き」を日本語と英語のバージョンで出したことは、これからの特許行政の国際活動に大きな方向を示したと思います。

宗像長官 お陰様で「権利者と実施者のバランスが取れている」という評価をアップル、グーグル、インテル、シスコ、エリクソンなど、世界を代表する企業や米国連邦取引委員会(FTC)からいただきました。
またレーダー元米国連邦巡回区控訴裁判所(CAFC)首席判事からは「仲裁で活用できる」とのコメントをいただきました。そのほかにも「包括的で分かりやすい」(各社)、「スタンフォード大学の講義に使いたい」(米国弁護士)、「SEP(標準必須特許)に関する文書の中でベスト」(元米国特許商標庁長官)など国際的に高い評価を受けました。

馬場 国際的な貢献という点でも画期的なことだったと思います。内外から多数の講演依頼が来ているということも聞いています。このような実績があったこともあるのでしょうか、特許庁の取組の国際評価も上がったそうですね。

宗像長官 米国商工会議所が各国の知財制度の強さを分析しています。「International IP Index」ですが、これの2019年版の日本の総合スコアが昨年の86.45から今年は87.73へとアップしています。「手引き」だけでなく、中小企業向けの料金一律半減制度の導入と手続きの簡素化も評価されたようです。

特許出願を増やすにはどうするか
馬場 知財の活性化の柱は何といっても特許の出願・権利化と実施にあると思います。出願数の推移では2009年のリーマンショックを基点にしてどれだけ回復したかという指標がよく使われます。グラフで見るように日本はリーマンショック以前の特許出願件数を回復していません。これはどのように対応するべきでしょうか。

宗像長官 日本人は創意工夫に富んでいるとされ、もともと発明が好きな国民だと思います。創意も工夫も発明の範疇に入ることが多いと思いますので、特許出願件数もいずれ回復すると信じています。知財立国の実現には知財の創造・保護・活用というサイクルを活性化させる必要があります。
特許出願だけに力点を置いても結局、保護や活用が活性化しなければ、知財立国は実現できません。逆に、保護、活用を活性化させれば、創造も触発され特許出願に結びついていくでしょう。そのような発想で取り組みたいと思っています。

馬場 長官はスタートアップ支援に熱意を燃やしているように感じます。支援策についてお聞きします。

宗像長官 スタートアップ支援策ではまず、彼らが置かれた状況をしっかり踏まえたものになっているかを検証するところから始めています。特許審査は、滞貨山積みの時期に比べてかなり速くなっていますが、それでもスタートアップのスピード感には合わないのではないかという心配があります。
スタートアップに対する料金の優遇はどうか、スタートアップであることの証明はどうするのか、いろいろな書類の提出を求めると使い勝手が悪くなり結局、利用が広がらないのではないか。スタートアップの方々の意見を聞きながら、支援策を充実させてきました。昨年7月からスタートアップ向けに、原則1カ月以内に最初の審査結果をご連絡するスーパー早期審査を始めました。
昨年9月からは、ウェブサイトにスタートアップ向けコンテンツのβ版を出して、特にスタートアップの皆さんの意見を聞きながら改良するという取組を始めています。また、スタートアップが料金減免を受けようとする際、今年4月から証明書類の提出は不要になります。

馬場 その行政手法は、まさに長官が進めるデザイン経営そのものと思って聞いていました。ところで中国のスタートアップはすごいですね。

宗像長官 御指摘のとおりです。北京や深?では次々とスタートアップが生まれ、2017年の新規企業登録数は607万社に上っているそうです。1日平均1万6600社、5.2秒に1社が起業していることになります。日本の若い世代も中国の活動に刺激を受けていると思います。私たちもしっかりと支援していきたいと思っています。

馬場 特許庁のウェブサイトもずいぶん様変わりした感があります。私は非常に助かっており、周辺の人の評価も高くなっています。ウェブサイトは日々改良改善を重ねて理想形になるのが普通ですから、これからも期待して見ていきたいと思います。
ちょっと話題は変わりますが、グレースピリオド(発明の公表に伴う新規性喪失の例外期間)が拡充されましたね。

宗像長官 産学連携や共同研究を推進する時代ですし、特許、意匠ともに6か月から1年にしました。米国も両方とも1年です。ヨーロッパは、特許は6か月、意匠は1年になっています。

馬場 さて、最後になりますが、日本特許庁は、長いこと知財全般のアジアのリーダーとして貢献してきています。いま中国が知財活動とともに知財制度でも世界先端を目指して整備するなど相対的に日本の存在感が薄れてきたように感じますがいかがでしょうか。

宗像長官 特許庁としてできることに全力を挙げて取り組んでいきたいと思っています。例えば、新しい技術が次々に登場する中で、何が特許になるのかならないのか。審査基準をどんどんアップデートして世界に発信していきます。昨年9月にシンガポールで開催された第8回日・ASEAN特許庁長官会合では、先端技術分野における特許審査基準の改訂/作成協力が今後の協力テーマとして盛り込まれました。各国の長官からも日本との協力に対する様々な期待が寄せられています。
さらに、新しい時代のユーザー像を見通し、世界の知財制度がどうあるべきか日本からどんどんアイディアを出していけるようにしたいと考えています。

馬場 宗像長官の力強い言葉をいただき、知財推進を支援するものとしてとても嬉しく思いました。
また最近、特許庁を中心とした知財行政については好感をもって見守ってきましたがこれからも陰から支援していきたいと思っております。知財立国に向かってさらに活躍されますよう心から期待しております。
本日はありがとうございました。

 

写真・21世紀構想研究会事務局 福沢史可

(おわり)

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