否定肯定
知的財産の仕事を長くやっていると、少しばかり性格が悪くなるのかも知れないなという経験をしました。
ある、趣味の世界での会合で、ある人から言われたことです。
私に向かって何か言うと、必ず「いや」と頭につけてから返すことが多いという指摘です。たとえ、その後に話をする内容が、肯定するような意見を述べる時でも、いや何々だからと言うような「いや」というフレーズが、頭に必ずついているといわれたのです。自分では全く意識してないのですが人の話を、先ずは否定しているかのような「いや」という言葉が入る癖があると指摘されたのです。
実は同じ会合の仲間に、現役時代に知的財産部門を長く務めた人がいて、その人も私ほどではないが、同じだといわれました。
我々の仕事の中には、主に特許庁や他の企業との折衝というか、意見を交換したり、見解を述べる機会が多いのです。中でも意見書や答弁書などは、どちらかというと見解の相違があるところからスタートします。
相手の言うことが尤もであり、その通りであるなと思っても、100%そうかな?と疑問をもって指摘なり、主張の正当性を確認したり、付け入るスキがないモノかと考えなければいけない仕事が多かったのです。どちらかというと、自らの会社の立場を考え、有利になる方向に判断することが多くなることは、致し方ないことでしょう。
様々な争いや、意見の相違があり妥当性の判断が当事者の間では得にくい場合に、裁判所での判断に委ねられることが少なくありません。
裁判所では、それぞれの主張を出させて、意見の相違するところである争いになっているところと、相互に認めている争いのない点に整理して、争点についての証拠や過去の裁判所の判断などを総合的に検討して、裁判所としての判断がなされます。ところが、裁判所の判断も一審、二審と判断が分かれ、同じ主張(争点)が、認められる場合と、認められない、つまり逆転判決が出てくることが少なくありません。
こうしたことが多くあると、どちらの意見が正しいか、否定すべきか肯定すべきか微妙な場合が少なくないため判断に迷うこともあるのです。どうしてもそれぞれの主張の妥当性を考えるために、成程なとは思いつつも、「いやいや、待てよ、その通りなのかな?」と考えなければならないことが往々にして出てきます。
そんなことが多くなると、冒頭に述べた、先ずは否定しておいて、考える時間というか、間をおいて判断することが多くなってしまうことになるのかも知れません。
これが人の育成となると気を付けないといけないのです。対人関係でも否定から入ると一般的には警戒をもって接するようになってしまうのです。部下指導のテキストには「褒めて育てろ」などという話も出ています。先ずは褒めてから、つまりは肯定してから、注意すべきことや足りないことを指摘するようにすべきだとしています。なかなか否定から入る癖が抜けないので発言には気を使います。