吉野彰さんのノーベル賞受賞と特許(上)
「社会に貢献する」か「知的遺産」かで授与
2019年のノーベル賞受賞業績を見て、物理学賞と化学賞の評価が極めて対照的であることを感じた。
物理学賞は、太陽系の外にある惑星の発見で3人の天文学者が受賞した。化学賞は、リチウムイオン電池の実用化に道を開き、社会活動に多大な貢献をしたとして吉野彰さんら3人の研究者が受賞した。
物理学賞は、人類の知的遺産に多大な貢献を残した業績だが、実生活には何も貢献していない。一方で化学賞は、社会生活に多大な貢献をしたことを評価して授与したものだ。
社会生活には何も貢献しない業績と多大な貢献をした業績。両極端に分かれたものだがどちらもノーベル賞の栄冠に輝いた。ちなみに生理学・医学賞の業績は、学術的な価値を評価されたもので、今後、社会貢献につながっていくだろう。
ノーベル賞対象業績は21世紀に転換した
ノーベル賞を授与する対象業績は、時代と共に変わっていく。そのことを明確に感じさせたノーベル賞授与は、20世紀最後のノーベル賞、つまり2000年のノーベル賞だった。
このとき物理学賞に輝いたテキサス・インスツルメンツ(TI)社のジャック・キルビーと化学賞に輝いた筑波大学名誉教授の白川英樹ら3人の業績内容は、産業技術に密接に関わっているものであり、対象業績の転換点を思わせた。
というのも、ノーベル賞は原理原則の発見、真理の発見、基本的な発明などが対象業績であり、応用技術や産業技術はあまり対象としていなかった。
キルビーの業績は、集積回路を世界で初めて発明したもので、半導体産業技術に多大な貢献をした。集積回路の関連特許は「キルビー特許」と言われたもので、日本企業はTI社に多額のロイヤルティを支払っている。
ちなみに世界初の集積回路は、キルビーとほぼ同時期にロバート・ノイス(インテルの創業者)も発明しているが、特許出願日がタッチの差でキルビーの方が先だったことからノーベル賞を逸した。
受賞を喜ぶ吉野彰さん(テレビ報道から)
基礎研究と企業研究者の受賞業績
吉野彰さんの業績は、大学卒業後に旭化成に入社してから企業研究者として新製品開発の研究一筋に取り組み、ノーベル賞の栄冠を勝ち取ったもので「21世紀型の受賞者」と言えよう。
吉野さんの受賞後の報道で知ったことだが、吉野さんが1981年にリチウムイオン電池の研究を始めたきっかけは、最初から電池を開発しようとしたのではなく、白川英樹博士の開発した導電性プラスチックを応用して、新規事業に結びつけようとしたものだったという。
ノーベル賞業績の先に新たなノーベル賞業績が待っている。この言葉を地で行くような研究の流れである。多くのノーベル賞受賞者は、この流れに乗ってノーベル賞受賞の栄冠を引き寄せているからだ。
吉野さんの特許出願は139件
使い捨ての電池を一次電池と呼び、リチウムイオン電池は充放電が繰り返して行うことができる二次電池である。当初から小型・軽量化・長寿命・低価格を実現しなければ実用化には難しいという課題があった。
最初の課題は、充放電を繰り返すと電池容量が低下することにあった。電池内部で動く金属リチウムが負極と正極を往復する際に両極を隔離しているセパレータを突き破る(析出)ことにあった。
吉野さんはこの課題を解決するために1985年に、正極にコバルト酸リチウムを、負極に炭素材料を使って現在のリチウムイオン電池の原型を発明した。この電池は、セパレータの課題を解決し、リチウムイオンが正極と負極の間を単に往復するだけで充放電ができる理想的な二次電池として実現した。
特許庁の調べと旭化成の発表によると、吉野さんを発明者とする特許出願は合計139件とされている。ノーベル賞に結びついた基本特許は、1985年5月10日に出願され、1995年に登録された発明考案の名称「二次電池」の特許である(特願昭61-103785、特公平4-24831)。
吉野さんが旭化成に入社13年後であり、特許出願したときは37歳であった。
吉野さんのノーベル賞受賞を報告する旭化成のホームページ
https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/news/2019/ze191009.html
ノーベル賞選考に特許出願件数を重視
ノーベル賞も特許も世界で初めて発明・発見した人しか手に入れることができない。タッチの差で栄冠や権利を逃した例は多数語られている。ノーベル賞選考で特許が重視されることを明確に語ったのは、2001年に来日したノーベル生理学・医学賞選考委員会・ノーベル会議議長をしていたアニタ・アペリア教授である。
都内で行った講演で、「ノーベル賞授賞者の選考のスクリーニングとして、その研究者がどのような特許を出しているかを調べている」と語ったからだ。それまでストックホルムのノーベル財団を度々訪問してノーベル賞関係の取材をしていたが、ノーベル賞関係者から、特許という言葉を聞いたことがなかったので筆者は驚いた。
アぺリア教授の前にノーベル会議議長を務めたヤン・リンドステン教授(カロリンスカ研究所付属病院長)は、「ノーベル賞は個人に出すと考えないで分野に出すものと考えてほしい。まずどの分野に授与するかを決め、その後でその分野にもっとも貢献した人を3人まで決める」と語った時にも眼を開かせられた。
リチウムイオン電池の開発で有力なノーベル賞受賞候補者として水島公一さん(東芝リサーチ・コンサルティングエグゼクティブフェロー)と西美緒さん(ソニー元上席常務)の名前もあがっていたが、栄冠は米国の2人の大学研究者にさらわれた。
選考委員会の王立スウェーデン科学アカデミーが評価した上位3人の中に惜しくも入らなかったもので、フランスのパスツール研究所の科学史研究家たちは、選に漏れた人を「4人目」として受賞者と同列に称える本も出版しているほどだ。
日本でも過去に「4人目」を多数、出している。
(つづく)