コラム

中国の科学技術力と知的財産権 その1

林幸秀著「科学技術大国 中国」(中公新書)の出版

21世紀に入ってから急進的に発展している中国は、本当はどのくらいの科学技術力があるのか。分野、テーマによって中国研究者や機関が世界先端を走るまで になってきているが、一国の科学技術力となった場合どうなのか。中国ウオッチャーと表明している筆者も、これまで何度も立ち止まって考える場面があったが その全体像を俯瞰する糸口も取材力もなかった。

その手がかりになる本が出版された。「科学技術大国 中国」(中公新書)である。著者は、元文部科学省文部科学審議官、(独)宇宙航空研究開発機構 (JAXA)副理事長を務めた後、現在、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター上席フェローに就任している林幸秀氏である。

林幸秀氏

林氏は、2003年に中国の上海市に初めて行ったとき、中国の躍動する現場を見て中国の科学技術力に興味を持ち、これまで取材・調査・研究活動を重ねてこ の本を上梓した。林氏は行政官として国際的に豊富な科学技術研究テーマに精通しており、とりわけ日本国内の研究状況について熟知しているし、研究者との交 流も半端ではない。

中国の科学技術力を調べる過程でも、この豊富なバックグラウンドをフルに活用し、特に本書では同じテーマ・分野での日中の研究レベル、状況、人材などを比較して論述している。中国の科学技術力をこのような切り口で見せてくれた文献がないだけに、非常に参考になった。

林氏の中国科学技術力の調査・研究は、これまでも多岐にわたっており、JSTなどでいくつかの報告書をまとめている。この本では、その中から①スーパーコ ンピューター(スパコン)、②有人潜水調査船、③望遠鏡と宇宙開発、④核融合開発、⑤iPS細胞研究、⑥遺伝子解析企業の6つに特化して報告し、さらに中 国の科学技術力の各種評価、成果を紹介しながら著者自らの論評を記述している。

中国流の研究取り組みと業績

6つのテーマの中国研究現場の報告は、どれもこれも中国式、中国流が出ていて面白い。スパコンのTOP500ランキングの2010年の演算性能で世 界1になった「天河1A」は、世界をびっくりさせたが、学術的な利用の点ではイマイチの感であるという。ところが、性能はやや低いが価格の安いスパコンを 大量に製造して国内で販売し成功している。

開発した成果をすぐに実益、ビジネスに結びつける中国流の成果である。日本の「地球シミュレーター」の開発過程やその後の利用など日本式成果との比較に言及して日中の研究現場の違いを報告している。

有人深海探査で7062メートルの潜航で世界記録を樹立した「蛟竜」の開発の歴史を読むと、中国は世界の歴史から見ても15世紀のヴァスコ・ダ・ガマの大 航海時代よりも100年も古くから大艦隊を組織して世界の海に出ていたことを知った。かつて強大な海軍力で南アジア地域で存在感を出していた時代があった という。

このような歴史的な背景もあって取り組んでいる海洋開発研究だが、重要部品はロシアからの導入である。しかし非公式の潜航調査のころから、資金回収のために実質的な運用を始めて稼いでいるようだ。ここにも中国流が顔を見せる。

外国技術の導入に抵抗がさほどないのも中国流である。宇宙開発でも原子力・核融合でも同じであるが、自前主義にこだわる日本の研究開発現場との違いがはっきりと出ている。

日本では企業も自社技術主義にこだわり、それが日本社会では有力なベンチャー企業が容易に生まれない企業風土になっている。日中それぞれの文化の違いからくるものだが、どちらも一長一短でありそんなことも考えさせる報告になっている。

ソ連、米国に次いで世界3番目に有人宇宙飛行を成功させた「神舟」の開発過程の報告では、中国のプロジェクトが実験段階を踏んで着実に成功に結びつけた過程が詳しく報告されている。

核融合開発では、まだ日米欧などの研究成果には見劣りするが、すでに次世代核融合装置のプログラムを進めており、いずれ追いついてくるだろう。

iPS細胞研究では、世界で初めてiPS細胞からマウスを誕生させた研究者らの活動が語られているが、外国で修業した研究者が帰国後すぐに世界先端の研究テーマに取り組み、独創的な視点で成果を出したことで、中国流とはまた違った面を見せている。

iPS細胞関連の医学研究では、中国の方が臨床応用に着手して成果をあげる可能性が強いのではないか。日中の共同研究、医療技術の普及の面ではこのようなテーマが最も迅速で効果がある分野のように思える。

この本の中で筆者が一番関心をもったのは、遺伝子解析企業の報告である。ヒト全遺伝子解読で中国は、米欧日と共に貢献したことは知られていたが、その有様がこの本で初めて知った。

この企業はBGI社(Beijing Genomics Institute:北京ゲノム研究所)だが、当初は中国政府が資金支援をしていたものだが、やがて政府は手を引き、代わって広東省深?市が土地を提供し資金援助に乗り出したものだ。

最新式のシーケンサー(遺伝子解析装置)を米国から大量に購入し、若手のフタッフを集めて組織的に遺伝子解析作業を行っており、世界中からの注文を受け付けているという。つまり遺伝子解析の請負専門企業なのである。

遺伝子解析は、バイオ・インフォマティックスという研究領域があり科学研究テーマとして非常に魅力的であり高度な専門分野である。しかしBGI社はそんな ことには無関心に見えるほど解析に特化した企業に見えている。いまのところは科学研究とはあまり関係のない企業活動に見えるが、徐々にアカデミックな活動 を強化しているという。

この項を読んで筆者は製造業現場にあるEMS(Electronics Manufacturing Service)を思い出した。これは電子機器類の受託生産を行う企業のことを言い、代表的なものが台湾の鴻海精密工業(ホンハイ社)である。従業員 100万人、売上10兆円の世界一の受託製造企業である。

ホンハイ社も、下請け専門の企業だったが、いま独自の製品を製造するようになってきた。何よりもアメリカ特許商標庁での特許取得件数がこの数年、驚異的な増加を示しており、トップ20に顔を出すまでになった。

いまになってホンハイ社は、単なる下請け企業ではなかったという本心が見えてきた。経営困難になっている日本のシャープ社を支援するかしないかで注目されていたが、もはや技術的にそれほどの力を備えてきたという見方もできるだろう。

BGI社も、いずれ遺伝子解析を独自の視点と研究方針で始め、創薬に結びつく成果を出してくるのではないか。下請していると技術本筋がよく見え、研究開発のバイパスになることが多いのである。

林氏は、こうした現場の研究状況を取材・調査して報告する一方、日本の同じテーマの研究レベルや状況を比較して論評したことで厚みを出している。結論とし て林氏は、中国の科学技術力は①キャッチアップ主体である、②技術・機器の外国依存が強い、③着実にプロジェクトを展開している、④成果を早急に実用化、 商業化している、⑤必要なら研究スタッフ自ら製作作業をするーなどの特徴をあげている。

そして多くの課題もあげているが、いずれこうした課題も乗り越えて先進国に追いすがる日が来るとも語っている。

また人材に言及した項では、研究者数が世界一であることや15歳の学習到達度を調査するPISAの平均得点で上海の中学生が世界トップであること、国際科学オリンピックの金メダル獲得数で中国が抜き出ていることなど国際比較のデータを示している。

こうしたデータを示されると人材面でも中国の将来展望が明るいというよりも、日本は将来どうなるのかという心配の方が先になってしまう。

読み終えて、中国の科学技術力の全貌を見たように思い参考になった。これまで仄聞していた状況もよくわかったし、日中の研究現場の違いが具体的に示された点でも優れた内容になっている。

日中の学術交流に参画している研究者、行政官などやこれから産学連携に乗り出す企業人にとっては必読の本である。

次回は、こうした中国の科学技術力が知的財産権の成果とどのように結びついているかを調べて報告してみたい。

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