フェアユースの法理と概念を考えさせるJASRACの要求
最近報道された2件の内容
さる4月7日、京都大学の山極寿一総長が入学式で述べた式辞の内容について音楽著作権協会(JASRAC)が、ウエブで掲載した分の使用料を京大に請求しているとの報道があった。
(京都新聞HP;http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20170519000004)
5月24日にJASRACの定例記者会見で浅石道夫理事長は、「引用と判断している。著作権使用料は請求しない」と語ったという。(5月25日付け、読売新聞朝刊33面の報道)
さらに同じ時期に、今度はヤマハ音楽教室がJASRACを提訴する方針だとの報道があった。これは音楽教室で楽器の練習や指導で楽曲を演奏した場合は、「演奏権」に当たるとして音楽教室から年間受講料の2.5パーセントを2018年1月から徴収する方針だという。その方針に対し音楽教室を経営するヤマハや河合楽器が、支払い義務がないことの確認を求める訴訟を東京地裁に起こすという報道だ。(2017年5月17日付け日本経済新聞夕刊14面)
JASRACが著作権を主張している現場は、どちらも教育現場である。京都大学と音楽教室では違うという解釈もあるだろうが、教育する現場としては同じ場所である。
そもそも教育とは、受講する人たちに知識を与え、技能を磨かせたり身につくように指導したり、人間性を養うための場である。公共の福祉に寄与する現場でもある。
入学式の式辞は引用ではないか
山極総長の京大入学式の式辞は、全文、京都大学のHPから読むことができる。それによると総長は、昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの歌詞を引用しながら若い学生にこれからの生き方を示唆した格調の高い内容になっている。
式辞には(Bob Dylan氏の「blowin' in the wind」より引用)という断り書きもついている。この引用によって京都大学と山極総長が何かビジネスとして収入を得ることはない。
この式辞の目的は、入学してきたフレッシュな学生に向かって総長が人生の示唆に富んだ言葉を投げかけ、青年たちの生き方に良き影響を与えたいという目的で語ったものである。
先の読売新聞の報道によると、京大がHPに式辞を掲載した後に、JASRACは京大に利用状況の問い合わせをしたという。浅石理事長は「通常業務としてそういうことは必ずする。使用料の請求はしていない」と語ったと報道している。
京都大学側は、メディアの取材に対し、HPへの掲載は、著作権使用料がかかる場合があると言われたが、根拠が不明なので対応していないという趣旨の発言をしている。
日本の新聞社や出版社が、掲載した記事や写真の著作権を主張するのは当然である。しかし社会や文化に寄与する場合には、フェアユース(公正利用)の法理によって権利を放棄するべきである。
また著作権法には「著作物は、引用して利用することができる」としており、報道、研究などの目的で引用する場合は、許諾ももちろん著作権使用料もかからない。
山極総長の語った言葉は、著作権を侵害したものではなく明らかに引用であり、違法性をとわれるようなものではないだろう。
日中大学フォーラムで意見表明する山極寿一・京都大学総長(2016年5月)
ヤマハ音楽教室の場合も、いわば学校であって確かに生徒から授業料を徴収しているだろうが、練習曲として演奏することは楽曲の侵害とはならないのではないか。これはいずれも筆者の見解である。
つまり教育に利用する場合や公共の福祉に供する場合にも、著作権をたてに金銭を要求することは文化振興の観点からも認めがたい行為であるというのが、筆者の見解である。
過去に筆者が体験した事例を紹介して、さらに問題提起をしたい。
さくらサイエンスプランという事業
日本政府が東アジア諸国・地域の優秀な青少年を1週間程度、短期間招へいし、日本の科学技術と文化を研修してもらう「さくらサイエンスプラン」事業は、2014年度、約2000人のアジアの青少年を招き、予想をはるかに超える大きな反響があった。
さくらサイエンスプランの修了式風景(2015年5月)
招へいされたアジアの青少年たちは、そのほとんどが日本の国・社会と科学技術と文化に触れて大きな感動を覚えた。アジアの優秀な若者が、日本を理解して再び日本に来て研究者として世界に貢献してほしいという目的が当たったと感じた。
筆者は、この事業の報告書を作成するため、新聞に掲載されたさくらサイエンスプランの記事や写真を収納する作業を進めた。そこで新聞記事や写真を報告書に掲載する許可をそれぞれの新聞社に求めた。無料で掲載の許可をしてきた新聞社もあるが、いくつかの新聞社は著作権を根拠に掲載料を請求してきた。
東京理科大学で実施されたさくらサイエンスプランのセミナー風景(2015年5月)
その額は7000円から3万円まで幅があるが、報道された記事の写真を掲載するだけで料金を請求するのは異常であると言わざるを得ない。大体、写真で掲載された記事は読みにくいか読めない状態である。
さらにこの報告書は、市販されるものではない。事業の関係者(大半は大学や自治体など)や文部科学省、大学、研究機関などに報告するときに添付する小冊子である。
小冊子で紹介すればその報道機関のPRにもつながるから、むしろこちらでPR料をもらいたいくらいである。
このような準公的文書であり、大学・研究機関では、教材として活用する場合もあるだろう。そのようなものにまで、著作権料を請求してくるのは妥当なのだろうか。
フェアユースという法理と概念
いま世界中で、発信する手段と方法が爆発的に広がっている。ブログ、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、各種インターネットサイトの発信は燎原の火のように広がっている。
このような時代を迎えて、にわかに注目されているのがフェアユースの法理と概念である。フェアユースはアメリカの著作権法が認める権利である。法的には、著作権侵害に対する抗弁としているが、ここでは簡略的にフェアユースの権利とする。
アメリカ著作権法の107条は「批評、解説、ニュース報道,教授(教室における使用のために複数のコピーを作成する行為を含む)、研究または調査等を目的とする著作権のある著作物のフェアユースは、著作権の侵害とならない」と定めている。
フェアユースの概念は、批評、解説、ニュース報道、学問、研究を目的とする場合にあっては、著作権のある著作物を許可なしで限定的に利用することは認めるとしている。
日本でもフェアユースの概念を取り入れ、公共の福祉に寄与するものには権利を放棄する方が社会の健全な発展に寄与するのではないか。権利の乱用にならないように、権利者は是非とも考えてほしい。
JASRACの設立目的はよく理解できるが、紋切り型にならないことを祈りたい。