コラム

ノーベル賞と特許

今年のノーベル化学賞は、「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」の発明の業績で根岸英一・米パデュー大特別教授 (75)、鈴木章・北海道大名誉教授(80)、リチャード・ヘック・米デラウェア大名誉教授(79)が受賞した。金属のパラジウムを触媒として、炭素同士 を効率よくつなげる合成法を発明し、医薬品工業などで効率のいい有機化合物の製造を可能にしたものだ。日本人の化学賞受賞者は、これで7人となった。

「クロスカップリング反応」とは、異なる2つの有機化合物の炭素同士をつなぐ化学反応のことである。まず、ヘック博士がパラジウムを触媒にする方法 を発見して「ヘック反応」と言われた。根岸博士は、この方法をクロスカップリング反応に応用した。亜鉛化合物やアルミニウム化合物を使った反応を開発して より安定した使いやすい方法に改良した。それが「根岸カップリング」と呼ばれる方法である。

鈴木博士は、亜鉛の代わりにホウ素を使ってさらに改良した「鈴木カップリング」を開発した。鈴木博士の開発したのは、特別な条件でなくても反応が進 むようにしたものであり、世界中の化学メーカーや製薬メーカーが恩恵を受けている。さらに液晶テレビやパソコン用ディスプレー、有機ELディスプレーの製 造でも使われている。鈴木カップリングはロスが少なく、製造のコストダウンになった。

ところで、産業界にこれだけ貢献している発明であるが、根岸博士は自身の発明について「特許をとる意思はなかった」と語っている。その理由は、発明 した技術は多くの人に使ってもらうためだったという。これはこれでいい話だが、特許をとらなかったばかりに実用化で遅れたりその技術が日の目を見ないで埋 没することもある。

世界で最初の抗生物質として知られるペニシリンが、その例としてよく引き合いに出される。1928年にペニシリンを発見したイギリスのアレクサン ダー・フレミングは、「人命救助のために多くの人々に使われるためにあえて特許をとらなかった」と語ったという。最初の発見から医療用として実用化される まで10年以上がかかったが、それは特許がないため製薬企業が手を出さなかったためだった。排他的独占権がないのでは、画期的な薬剤を開発してもすぐに真 似されてしまうからだ。

もしもフレミングが早くから基本特許を取得し、製薬企業が創薬に乗り出せば、第2次世界大戦の戦場で破傷風などの細菌感染で失われた傷病兵の多くの 命を救ったと言われている。この例から根岸博士が特許を取得しなかったことを非難するものではないが、最初の発明・発見と特許の関係には、このようなドラ マがある場合もある。フレミングは、ペニシリンの発見の業績で1945年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。

表1は、特許庁が調べた自然科学3分野のノーベル賞受賞者の特許出願数の中から、トップ3を抜粋したものである。また表2は、日本人受賞者の特許出願数である。理論物理学のように、紙と鉛筆だけあればいいという学問と特許は無関係であることが、この表からも分かる。

 

表1 自然科学の3分野のノーベル賞受賞者と特許出願数(特許庁調べから抜粋)

物理学賞 受賞年 件数 業績
ジャック・キルビー(米) 2000 129 集積回路
ゲルドゥ・ビニッヒ(独) 1986 92 走査型トンネル電子顕微鏡
アイヴァー・ジェーバー(ノ) 1973 83 半導体トンネル効果
化学賞
野依良治(日本) 2000 270 キラル触媒による不斉水素化反応
ジャン=マリー・レーン(仏) 1987 95 クラウン化合物の合成
アラン・ヒーガー(米) 2000 91 導電性プラスチック
生理学・医学賞
ゴッドフリー・ハウンズフィールド(英) 1979 192 エックス線断層撮影
アンドルー・シャリー(米) 1977 134 脳のペプチドホルモン生産
ジョージ・ヒッチングス(米) 1988 123 薬物療法の重要な原理

* (ノ)はノルウエー

表2 日本人ノーベル賞受賞者と特許(特許庁調べ)

特許出願先
受賞年 受賞者 分 野 日本 米国 欧州
2008 南部陽一郎 物理学賞
2008 小林 誠 物理学賞
2008 益川 敏英 物理学賞
2008 下村 脩 化学賞
2002 田中 耕一 化学賞 17 1 0
2002 小柴 昌俊 物理学賞
2001 野依 良治 化学賞 167 35 69
2000 白川 英樹 化学賞 35 8 3
1987 利根川 進 生理学・医学賞 4 9 3
1981 福井 謙一 化学賞 191 9 23
1973 江崎 玲於奈 物理学賞 29 33 23
1965 朝永 振一郎 物理学賞
1949 湯川 秀樹 物理学賞

2008年にノーベル化学賞を受賞して日本中をわかせたオワンクラゲの発光色素を発見した下村脩博士は、「特許などまったく考えなかった」と語って いる。この基礎的な研究の成果は、ほぼ30年後に医学の世界で大きく貢献したものだが、最初の発見から実用化で貢献するまでこのくらいタイムラグがあるの では、特許も意味がないとも言えるだろう。

ところで、2002年にノーベル化学賞を受賞して企業の研究開発者にも大きな勇気を与えた田中耕一博士は、その業績の発表と特許出願などの状況を考 えると、日本特許庁に出した出願明細書が決め手になってノーベル賞を受賞したのではないかというのが筆者の推測である。ノーベル賞の審査の対象は、印刷物 に限るとしている。田中博士は、業績を発表した論文記載では、ドイツの研究グループに遅れをとっていたが、印刷物として世界で最初の発表は特許出願で出し た明細書である。もちろん、これは学術論文のようにすぐに公表されたものではないが、1年半後には公開されており、そこにはまぎれもない世界で最初の技術 が記載されていた。

受賞に至る審査の経過は、受賞年から50年後の2052年にノーベル財団が公表することになっており、そのときに田中博士の受賞の決め手が分かる。しかし50年後では、筆者の推測が当たっているかどうか確かめようがない。

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