コラム

イノベーション創出のための社会変革とは何か

「伊野辺家の1日」が語る日本のイノベーション
最初の安倍政権が発足した2006年9月、新政権を印象付けるためにイノベーション担当大臣というポストを新設し、2025年までを視野に入れた技術革新と社会システム・制度刷新への長期戦略に取り組んだ。
その目玉となったのが、2020年までの長期ビジョンを示した「イノベーション25」の策定だった。2007年6月1日に閣議決定したもので、2025年に実現している社会を「伊野辺(イノベーションをもじった苗字)家の1日」と題した物語で示し、大きな反響を呼んだ。

祖父母・父母・2人の大学・高校生の三世代一家とロボットという家族構成が朝起きてから就寝までの1日の生活を、ほぼ1時間刻みで語って聞かせ、いかにイノベーション実現によって生活環境が激変するかを国民に訴えたものだ。技術革新だけでなく国民生活、産業活動、教育・社会活動までの激変ぶりと人々の価値観まで波及する時代の変革ぶりを示したものだ。

伊野辺家の1日:内閣府
https://www.cao.go.jp/innovation/action/conference/minutes/inobeke.html

その主要部分を書いてみると次のようになる。
* 居間には103インチの大型ディスプレイがあり、家族でこれをみながら食事したり団らんのひと時を過ごす。
* 自動運転が普及し、交通事故に巻き込まれる危険がなくなった。
* 高校では「バーチャルリアリティ」を用いた教材で「ものづくり」の教育を受けている。
* 海外からの留学生が急増し、大学の学生も教員も半数は世界中からの留学生と外国人教員で占められている。


* 認知症の早期発見が実現し、早期発見がんは、手術しないで薬だけで完治するようになった。
* 生鮮食品の生産履歴が簡便にチェックでき、スーパーで購入した食品などは、出口ゲートを出ただけで会計金額が表示されオンラインで決済が完了する。
* カード1枚であらゆる決済が完了する日本が開発したシステムが国際標準となり、カード1枚ですべてのことがこと足りる社会が世界中に普及している。
* 自動翻訳機能が実用化され、外国人と不自由なく会話ができる。
* 「イノベー」というニックネームの家庭ロボットが掃除など雑用を片付けてくれる。
* テレワークとフレックスタイムの勤務状況が普及し、夕方から出勤する社員も出てきた。
* 北京の高校に留学している伊野辺家の長女と中国人学友が、日本の家族と大画面を通じて懇談している。

このように分かりやすい生活実態を示すことで、来るべきイノベーション革命の有様をまるで映画を見ているように示した点では斬新な政策実現案ではあった。これは政策目標であり、日本人の生活実態の変わりようを示そうとしたものだが、実際にどうなのか。
伊野辺家の一日は、2025年までには実現することになっており、あと3年後にはここに書かれている生活・社会実態が実現していなければならない。しかし、ここに書かれている様子の大半は、実現できないだろう。

イノベーションとは国家・社会の破壊的再構築
今さらながらイノベーションとは何か。イノベーションとは日本では「技術革新」などと言われることが多いがそれは違うだろう。
イノベーションという概念の提唱者は、オーストリアの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーター(1883―1950年)が、著書「経済発展の理論」(1912年刊)で、経済がイノベーションを軸に発展するものであると書いている。

シュンペーターの言うイノベーションとは、たとえば企業が成長するためには、今までになかった新しい製品やサービスを創出することであり、製品を生み出すプロセスにも革新的なシステムを創出することだ。
サプライチェーンであり企業などの組織であれ、自治体であり政府であってもそれまでの仕組みを破壊的に改革して新たな価値観を生み出す仕組みを創出していくことになる。
筆者が理解している言い方になると「国家から社会までの仕組みを破壊的に打ちこわし、新たな価値観を生み出す仕組みの再構築」をイノベーションと言うのだろう。「技術革新」などという言葉とイメージでは言い尽くせない概念である。

「伊野辺家の1日」が提起した課題
「伊野辺家の1日」は、国民に分かりやすい政策目標を示した点では面白い試みだったが、あれから15年経って見ると、継続性のない単なる花火の打ち上げに等しい政策だったことが分かる。
理由は、政権が変わっても継続性を担保されなかったことであり、安倍政権が再び担ったが、特段日本社会にイノベーションを起こするような強力な政策遂行は見られなかったことだ。

当時、「イノベーション25」策定作業には、8ヶ月もの時間をかけたという。イノベーション25戦略会議(黒川清議長)の委員だけでなく、約2200人の日本学術会議の会員の意見を集約し、文部科学省・科学技術政策研究所で延べ2500人の専門家の参加によるデルファイ手法の「科学技術予測調査」も活用したと言われている。

当時の科学的知見をもって予測できる限りの「技術的裏付け」を行う努力をしたうえで、総合科学技術会議で「技術革新」と「制度刷新」の両方について、実現のロードマップを作成したという。

ここまではよかったと思う。しかしこれは大げさな言い方になるが、イノベーションとは日本では「有史以来の大変革への挑戦」であったはずだ。その実現のためには、従来の仕組みを破壊して新しい仕組みを創出し、国家と社会を作りかえるほどのものになるものだ。
首相が最高責任者として指揮をとり責任を負う覚悟で継続的にやり遂げなければ実効性がない。しかし、そうはならなかった。

いま日本は、あらゆる局面で停滞していることが指摘されている。筆者の専門とする科学技術、研究開発、知的財産の分野の落ち込みは極めて憂慮するものである。これを乗り越えてイノベーションを起こすエネルギーを創出することがいま最大の課題である。

日本再生のイノベーターの育成
「日本が大きく生まれ変わるには、人の言うことを鵜呑みにせず、学び続け、その上で自ら考え、判断できる人材が必要だ」
こう主張するのは、安西祐一郎・東京財団政策研究所長(元慶應義塾長、日本学術振興会理事長、中教審会長)である(2022年6月29日付け日本経済新聞10面)。
安西所長は続けて「日本が大きな曲がり角にあることを認識し、市民の目線で日本再生にかける覚悟を持った人材が必要だ」と言う。日本は今こそイノベーションを起こすべきであり、そのためにはイノベーションを起こす人材の育成こそ喫緊の課題であると主張されている。

東京財団政策研は、5つの研究領域を掲げている。①経済・財政、環境・資源・エネルギー、②健康・医療・看護・介護、③教育・人材育成、雇用・社会保険、④科学技術、イノベーション、⑤デジタル革命、デジタル化による社会構造転換である。

独立系シンクタンクを任じている同研は、この5つの研究領域の政策提言を掲げるシンポジウムを7月22日にオンラインで開催する。そのプログラムと登壇する研究者のテーマについては、下記のサイトに案内と申し込み先が掲出されている。是非、聴いてみたい。
https://cp-entry.com/tkfd202207/
東京財団政策研究所政策提言シンポジウム-政策研究と実践のイノベーションに向けて-
主催:公益財団法人東京財団政策研究所
開催日時:2022年7月22日(金)13:00 - 17:00
オンライン開催 参加無料

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