ブランドの魔法と自分磨き
先日京都駅で知人を見送った際、知人の俳句の先生とお会いする機会に恵まれた。
90歳を超える高齢ながら温和でかくしゃくとした紳士だった。
普段、俳句とは無縁で恐縮だったが、俄か作りの句「散歩道 リードの先の 鼻に花」を見て頂いた。
花びらの舞う雪柳のトンネルを愛犬と散歩した時、地面の匂いを嗅ぐ愛犬の濡れた鼻に白い花びらが付いてしまった様子を表現したつもりの物である。
「可愛らしく、犬への愛情が表れていますね」と少しだけお褒めの言葉を頂いた。
俳句と言えば、芸能人の句を女流の先生が辛口に評価しランク付けするTV番組がある。
そのTV番組を楽しみながらも思う事がある。
辛口先生は俳聖と言われている松尾芭蕉の句を芭蕉が詠んだと知らなかったらどう評価するのだろうか。
仮にそれが「散歩道 首輪(リード)の先の 鼻に花」ならどう評価するのかなる疑問である。
佐々木の句なら酷評しそうだが、芭蕉作であっても同じ評価になるのか。
恐らく「松尾芭蕉」と言うブランドが大きな力を発揮するに違いない。
歴史的人物のネームバリューに限らず、ブランドは私たちの日常に降り注いでいる。
意識して見ると些細な事でも影響の大きさが分かる。
印象的だった経験を2,3紹介したい。
まずは、仕事での出張先が欧米からアジアの近隣国に移り始めた頃の事である。
宿泊はサービスの充実したホテルである。無料サービスの中に一日2本のミネラルウォーターが含まれているのが常であった。
ただ不慣れなこともあってか私はそれを飲料水として使えなかった。
飲み水は割高でもいつも冷蔵庫のエビアンかペリエにしていた。
ラベルの印字はその国の物であったが、見慣れたデザインの持つブランド力に改めて触れた経験だった。
人物、商品だけでなくサービスのブランド力に直面したのは、あるプロジェクトのリーダーをしていた時の事である。
今はトヨタの環境保全プロジェクトの一部として使われている「Today for tomorrow」。
当時社内でスローガン的に使われ出したこれを上手く日本語に直すようにとの指示を受けた時の事。
私は「未来の一翼は私たちに」的なニュアンスの意訳をアウトプットしたと思う。
併せて大手広告代理店にも同様のお願いをする事になっていた。
そちらのアウトプットは忘れてしまったが驚く程高額だった事は確かである。
同僚のみならず、決定権者からも「君の方が良かったけどね」なる評価を得ながら広告代理店の物が採用となった。
重要なのは何だったのか。
冷静に観れば何を作ったかではなく誰が作ったかが重要だったのは明らかで、結局はブランド力が物を言う世界であった事を思い知らされた。
最後に、有名ブランドの格差に驚いた経験もひとつ紹介する。
私は引っ越しが多く、結果的にその都度「断捨離」をして来た。
そんな中での一幕、持ち物を引き取り専門店に売却処分するにしても高く換金したいのが人情である。
この時にダントツの力を発揮したブランドがエルメスであった。
時計やカバン等、機能性も問われる物であれば差があっても納得感は持てるが、機能的な差がほぼ皆無のスカーフであってもエルメスの価格は別格だった。
購入価格に大差が無かった競合対象のブランド名は省略するが、いずれも高級ブランドとして誰もが知っている物だったので余計印象に残っている。
意識するとしないに関わらず私たちに影響力を持つブランドとは何か。
私は「信頼を創る意思とそれに沿った行動の積み重ねであり、維持する為に継続的努力も要求される少し面倒な物」位に捉えている。
それではソフトパワーとしてのこの武器をどう身に着けたら良いのか。
ビジネスの例としての一断面ならレクサスブランドの黎明期を覗き見た経験がある。
販売店は入りにくいと不評を買いながらも頑なにそのスタイルを守って来ているのは良く知られているが、世間からは見えにくい開発現場でもこだわりのスタートがあった。
ユニフォームや現場で被る安全帽から手元で使う文具類までレクサス色を出すべく高級感を訴求出来る黒をベースにトヨタから枝分かれさせ差別化していった。
昨日まで机を並べていたエンジニア同士がブランド名を被った途端よそよそしさまで感じられる空気感をまとったように感じられた。
そこまで意識するのかと滑稽に思える程であったが、ブランド確立の強い意志で貫かれていて、これも妥協を許さない継続の鍵だったように思う。
ブランドに載せるコストへの評価(当初は名前だけで何十万も載せていると酷評もあった)にも一喜一憂せず、我慢も含めてブランド戦略に揺らぎがあってはならない事を垣間見る事が出来た。
それでは個々人はどうすれば良いのか。
人のブランドの価値は生きた足跡の結果評価の様な物だと思うが、自分のブランド化を意識している人は少ないのではないだろうか。
私も深く考えた事はなかった。
容易ならざる自分ブランドの確立。
これを高めてみようと改めて考えた時、良い単語が浮かんだ。
「生き様」である。
人は「生き方」のあれこれを悩み、語る。
「生き方」と「生き様」、両者の違いをAIは「生き方」は「スタイル」、「生き様」は「結果として見えるドラマ」なる纏めをしている。
その説明の適否は分からないが、私は「生き様」と言う言葉の中に揺らぎ難い信念を強く感じる。「生き様」の意識は自分の行動原理を上のレベルに引き上げる魔法のように思えた。
同時に、かつて読んだ啓発本の一文「成長したければ自分の行動を全て意識化せよ」が浮かんだ。
自己のブランド化は成長の結果、成長の為には行動を鋭敏に意識(生き様の意識化)せよと言う事か。
ひとつのループで繋がった。
数十年前にとても優秀な後輩が、エリートの道を捨てフリーになる道を選んだ。
それまでの彼の行動には流れに身を任せるような所があまり見られなかった。
去って行く彼の姿に「生き様」を見た感じが蘇る。

