5億円マグロと天の声
2026年初頭の多くの出来事は、米国によるベネズエラ大統領拉致と言う驚きのニュースにかき消されてしまった感がある。
今後の世界情勢を占う材料としては悪すぎるように見えるこの事案の評価・解説は多くの専門家の見立てを拝聴するしかないが、日本の指導者には最重要課題として対処して欲しいと思う。
これとは対照的な平和な事案ながら、庶民としての驚愕を禁じえなかったのが、5億円マグロのニュースだった。
大間産の超一級品、ご祝儀相場とは言えマグロ一本に5億円超の値を付けるとは常日頃、余程儲けの良い商売をしているに違いなく、常連のお客さん達のコスパが犠牲にされているのかな、等と勘ぐってしまった。
もっとも、そのご主人は過去にも億単位でマグロ一本を仕入れているので商売上手と形容すべきなのだろうか。
このマグロを釣り上げた漁師さんの喜んでいる映像を見ながら「天声人語」と言う言葉が頭に浮かんだ。
中国の古典に由来すると言われているこの言葉は一般には朝日新聞のコラム欄のタイトルとして知られている。
「天は語らず人をして語らしむ」、天が何かを啓示するのではなく市井の声が天の声の如く世の中を表している、と私なりに解釈しているこの言葉が浮かんだのはなぜか。
その漁師さんの跡継ぎ問題に思い至ったのがきっかけだった。
かなり以前から、漁業も含め農林業の1次産業、2次産業でも町工場などの零細企業に携わる方々が、家業への思いとは裏腹、自分のような苦労はして欲しくないので子供に継承はさせたくない旨の発言をしているところを多く見て来た。
マグロの漁師さんにご子息がいるかどうかは分からないが、大物一本で億単位の可能性がある家業の後継ぎを望むのか・・・。
今朝、子供の為に本の楽しさを提供し続けて来たご夫妻が、50年にわたる本屋の歴史に幕を閉じるニュースが伝えられていた。
素晴らしい地域貢献の裏には大変なご苦労もあったようで子供には後を継がせられない旨が付け加えられていた。
一方、これらの人の声と真逆に見えるのが政治家の世襲制である。
使命感やら責任感やら以前のコラムでも少し触れてきたが、幾多の美辞麗句だけでは飽き足らず、しまいには天命とまで持ち出し政治の家業化が進んで来た。
前者と並べて見れば、天の声や天命で無く、単に苦労の多い職業は嫌われ楽な職業に傾く世の流れの断片に他ならないのではないのだろうか。
今まで築き上げた既得権、収入や特権に恵まれているだけでなく楽も出来そうなこの仕事を子供にも継いで欲しいと言う親の声が浮かんでしまう。
清廉かつ滅私奉公的な政治家もいるのは承知の上で極論にも聞こえる事を敢えて書くのにはいくつかの理由がある。
まず政治業界における世襲への執着性である。
これは人が本来持っている慣れの意識と相まって厄介なものである。
自民党の総裁も経験された河野洋平氏のあるエピソードが忘れられない。
直接の投稿記事だったのか、第三者によるインタビュー記事だったのか等含め、文言の正確性については定かでは無いが、氏は「国会議員になった1年目、只で新幹線のグリーン車に乗れる事に恐縮していた。ところが2年目になったら希望通りに乗れない事があると、それに苛立つ自分がいた。」と特権に慣れて行った自分への驚きを告白されていた。
このような特権への慣れが当たり前になってしまう事が主因かどうかは別にしても、政治家を所謂おいしい商売にしているのは間違いない。
大人気だった元首相までが、最後に「親ばかをご容赦」と述べた上で子息に地盤を継がせた。
おいしい商売を子供に継がせたい親心は人情的に理解しないでもないが、自民党をぶっ壊すとまで言って色々な大改革を成し遂げた人だけに、最後に肩透かしされた思いだったがこれが世襲制への執着心か。
政治の家業化の問題の二つ目は、もはや自分たちでは改革出来ない構造問題である。
世襲議員はもとより、それ以外の政治家でもいずれ自分達の首を絞める改革は望めない。
議員特権縮小を声高に叫んでいる政党でさえ与党にすり寄り合戦をしている有様を見ればその本気度に疑問符を付けざるを得ない。
仮に構造改革を制度設計するにしても、職業選択の自由という名の下、都合良く使えそうな憲法も存在する。
三つ目は能力の問題で、最も深刻かつ本質的な問題である。
別業界に目を転じれば、芸能界もおいしい職業らしく、何人もの大物芸能人が子息を同職につける努力をしてきている。
事によると一部のスポーツ界でも見られるのかもしれないが、これらの業界では実力が無ければ淘汰されるし、仮に無理やり残っても(残しても)大勢に影響はない。
しかしながら、最も卓越した能力が望まれる世界でありながら、それが無くても構造的に新陳代謝が起こらない世襲政治家が跋扈する事は国の存亡に係わる。
当然ながら、世襲的に地位を引き継ぐ事自体で能力に疑問符を付けるつもりは無く、本当の自由競争と比べた場合の構造的脆弱性を問題視するものである事は言うまでもない。
ここまで、世襲の悪い所を論ったが、私の居る京都は言わば世襲に伝統文化が引き継がれてきたような場所。
真摯に家業を継いで歴史を積み上げる多くの人達には敬意を表したい。
町角には多くのお地蔵さんが点在し、年配の方だけでなく通りすがりに足を止めてそこに手を合わせる女子高生の清廉な姿に歴史・伝統が静かに受け継がれてゆく心地よさを感じられるのも色々な世襲的制度が培ってきたものであろう。
少子化問題、都市部への一極集中対策、先端技術の流出問題等、国力に係る重要課題が十年単位で積み残されて来た事を懸案していた昨今と比べ、冒頭の国際情勢がレベル違いの困難を伴う問題と思えて仕方ないからこそ、失礼ながら書かせて頂いた。
政治が、時間的切迫も責任感的痛みも伴わない、おいしいだけの家業にならない事を切望したい。

