コラム

最後の一筆、白紙のページ

多くの企業や組織にある社是、行動指針と同じように、私がお世話になった会社にも「トヨタウェイ」、「トヨタ行動指針」があり、誠実な行動、現場第一主義や改善活動の継続等が謳われていた。

トヨタ自動車全体に傘のようにかかるこのような指針から、自分たちの仕事に、より近い不文律を紡ぎだそうとした事があった。
手前みそで恐縮だが、普通お題目になってしまいそうなこのような指針を、自分事に結び付けようとする愚直さがトヨタの強みの源泉でもあると私は思っている。

私は東京で技術渉外部署の責任者をしていた事があり、その役割柄、技術開発全体を統括する経営トップとは懇談の機会も多く、そんな中で自分たちの「技術部ウェイ」なる指針を加えるとしたら何だろうか、と問われた事があった。
即答できたのかどうかは定かでないが、開発自体に携わった事のなかった私が、耳学問的に集めた問題意識を基にその場で出した答えが「良く言えば最後の一筆、悪く言えば悪あがきですかね。」であった。
たしなめられる事もなく「面白いね。」と話を引き取ってくれた彼はその功罪を以下のように説いてくれた。
現存の技術を多用できるはずの新型車の開発でも、開発責任者が独自の設計にこだわり全て新しくすれば、自己満足以外の何者でもないコストだけ高い物になりかねない。
ただ「何が何でも自分の色を」と最後までこだわる、悪あがきにさえ見える姿勢・魂こそが進歩を生む原動力であり強みであった事も事実。
悪あがきはともかく最後の一筆はいいね、であった。

研究・設計や実験と言った開発自体に直接的に携わらなかった分、私は自分の立ち位置やそれによる付加価値を上げる為に、専門の知財分野以外にも競争戦略や組織運営の勉強になりそうな書籍(所謂、啓発本だけでなく、歴史読本や地政学的考察書等)に興味を持っていた。
そのひとつに『ユダヤの商法』(藤田田 著)があった。
元々は世界人口の0.2パーセントに過ぎない彼らが、ノーベル賞受賞率になると20パーセントも占める事への能力的興味だけで無く、世界の金融界やマスコミ界にも大きな影響力を持っている事への構造的興味からであった。

その中で、ユダヤ教のコミュニティーには「ラビ」と呼ばれる高位の宗教的指導者がいて、多くの尊敬を集め強い影響を持っている事、ラビの教えを中心にした「タルムード」と呼ばれる聖典的書き物の存在等を知った。
タルムードは学者達の議論などを口伝的に書き留めた紀元前からの教えの集大成的なもので、例えば「柔軟な木は折れないが、硬直した木は折れる」、「富は要塞であり、貧苦は廃墟である」と言うように分かり易いものから、「無恥と自負は兄弟である」とか「自分よりも賢い者に負ける方が、自分より愚かな者に勝つよりよりもましだ」と言うような意味深長なものなどが短い文章で書かれている。
我々が目にできる「タルムード」が選択的に編集されたものなのかどうかは定かではないが、ある人がラビにタルムードを全部読みたいので貸して欲しいとお願いしたところ、ラビが快諾と合わせ、トラックで取りに来るよう応えたと伝えられていることから、その全貌は莫大な知恵の集積であろう事は容易に推察できる。
流浪の民とも呼ばれ、幾多の迫害を受けながらも逞しく地歩を築いてきたユダヤの人々の力の源泉がタルムードの教えだとしたら、一見簡素に見える条文の解釈(意味の咀嚼)が彼らのレベルで出来て、何千年単位の知恵を吸収できれば素晴らしいと思う。
宗教的背景の無い私には都合良すぎる願いであろうか。
もっとも「大事な事は研究ではなく実行である」なる教えもあるようなので、例え多くの知恵を吸収できても、それを実行出来なければ、宝の持ち腐れで終わってしまうのだろうが。
本物のタルムードを見た事のない分際で、「実は・・・」とは書き出しにくいが、タルムードの最後のページは常に白紙である、らしい。

全貌を知らないながらも、タルムードの教えの中でひとつだけ実践を迫られたら、私は、白紙として常に残されている最後のページの教えを選びたい。
これは如何なる知恵が積みあがろうとも、更にあなたが次の知恵を加えなさいと言う最も重要な教えであろうと思うからである。
何千年のタルムードと数十年の企業文化を併記して恐縮だが、「最後の一筆の悪あがき」も明文化さえされなかったが私の中ではとても重要な文言として残っている。

今強い事が本当の強さでは無く、困難にぶつかった時にも折れない事が本当に大事な事と言われ「Resiliency (可撓性)」なる言葉をビジネス用語として頻繁に見聞きする。
形ある物や自分が構築したものが壊されても可撓性に富んだ復元力さえあれば、また強さを取り戻せるはず。

理想や理屈とは異なり、タルムードの白紙のページに似合う知恵を絞り出すことも、全ての場面での最後の一筆の悪あがきも難しい事は承知している。

以前、「回遊魚のように」なる投稿を何かの対談誌か巻頭言かに載せてもらった事がある。
回遊魚は常に泳ぎ続けないとえら呼吸ができなく死んでしまうと言う。
これは当時、自戒を込めて書いたもので、一時も止まれないそんなレベルで昨日より今日、今日より明日と1ミリだけでも前進を意識するメンタリティーを作り上げる事が復元力の源になるとの趣旨であった。
今思えば、一足飛びには難しい、タルムードの白紙の教え、最後の一筆の悪あがきに繋がるプロローグにも思える。

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